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特集:「地場産業と地域連携」

「東海道」ならぬ「陶・街道」によるやきもの産地ネットワークの形成

■瀬戸焼・常滑焼・美濃焼・萬古焼■

<見出し>

やきもの産地の現状

やきもの産地ネットワーク研究会の設立

草の根レベルから今、地域連携が始まった

4産地の共同事業、その名も「陶・街道やきものまつり」

めざすは、世界のやきもの産地との交流へ

<本文>

やきもの産地の現状

 名古屋市を中心とする東海地域は、古くから地場産業が集積する地域として知られている。なかでもやきもの産業は、せとものとして親しまれている瀬戸焼、急須・招き猫等の生産で知られる常滑焼、機械化が進み大量生産による効率的供給を行っている美濃焼、土鍋・花器において全国生産の大半を占める萬古焼が存在し、日本を代表するやきもの4産地が集積している。

 しかし、同じやきもの産地が集積している九州地域(有田焼、伊万里焼、波佐見焼)と比較して、産地集積地としてのイメージ形成や昨年実施された「炎の博覧会」等での連携に見られるように、個別産地としての実力はともかく地域として見た場合、必ずしも魅力のある地域とは言い難い。また清水焼(京都)、九谷焼(金沢)のように、特定都市のイメージと結びついた文化性、芸術性の香り高い高級感を打ち出せることもない。東海地域のやきもの産地は「せともの」に代表されるように日用雑器が中心であり、一品生産ではなく安価で代替可能な工業製品のイメージが強い。

 東海地域のやきもの産地は、いずれも名古屋市から約30km圏域に位置し、これまで都市化の影響を強く受けてきた。また急激な円高による輸出不振、アジア諸国を中心とした技術力の向上による国際競争力の低下、国内の消費低迷等により、どの産地も大きな打撃を受けてきた。

 一方、これらやきもの4産地には、大規模プロジェクトが目白押しである。2005年に愛知県瀬戸市での開催が決定した国際博覧会、同年に伊勢湾常滑沖に開港予定の中部新国際空港をはじめ、学研都市として、あいち学術研究開発ゾーン、東濃研究学園都市、鈴鹿山麓研究学園都市、また交通インフラにおいては、第2東名・名神自動車道、東海環状自動車道等様々なプロジェクトが着々と動き出している。これらは、「人・もの・情報」の行き交う拠点を形成し、各やきもの産地に少なからず影響を与えるものである。こうした大規模プロジェクトのインパクトをやきもの産業の発展に生かそうと、瀬戸市の世界陶芸村、常滑市のやきものの里 、多治見市の国際陶磁器テーマパーク等が計画されている。

やきもの産地ネットワーク研究会の設立

 こうしたやきもの産地をとりまく現状を考えると、やきもの産業の振興策ややきものを生かしたまちづくり、大規模プロジェクトへの対応は、各産地の中での議論が中心であり、その境界を越えた形での展開は、これまで積極的に行われていなかったのではないであろうか。

 個々の産地が同じ課題を抱え個々で対応するのではなく、集積地としての特性を生かし、これまでの枠組みを超えた広域的視野をもった上で先述した九州の例のように各産地がネットワークすることが必要となるであろう。つまりこの地域のそれぞれのやきもの産地が集い、広域的な産地として圏域全体の魅力向上に繋げていくことが重要である。 そこで、やきもの産地として共通の課題となろう産業振興やそれに伴う観光・文化の振興、やきもの産地としてふさわしいまちづくりのあり方などについて自由に討論する「やきもの産地ネットワーク研究会」(以下、ネットワーク研究会)を組織化することを試みることとした。

 幸いネットワーク研究会を設立するにあたり、我々が抱いている問題意識を同じように各産地の行政職員や現場で働く方々がもっており、こういった交流の場をぜひ持ちたいという意見が多く、平成8年12月、総勢20名強でスタートすることができた。その中には、日本福祉大学経済学部教授で地場産業問題に詳しい丸山優先生にも参加して頂き、ネットワーク研究会の顧問として貴重なご意見や議論のまとめ役をお願いする運びとなった。

 「実際問題、いくらこの地域に産地が集積していても、やはり商売敵。行政職員はともかく、職人さんが自由に意見を言うだろうか。」という当初の不安は、研究会が始まった途端に吹っ飛んだ。次の議題に移ろうにも、議論が活発すぎて移れない。第1回目から終了時間をオーバーしたことは言うまでもない。

草の根レベルから今、地域連携が始まった

 ネットワーク研究会は、当初5回の予定で進めてきた。開催毎に設定した議題をもとに、自由に議論することにより、まずは産地間の交流と情報交換を行うことが何よりも重要である。その仕掛け人の役割を担うのが弊社であるが、まずはその口火を丸山先生が切ってくれた。

第1回目の丸山先生の講演では、日本のやきもの産地の課題をテーマにお話して頂き、参加者誰もが話に釘付けになった。その主な内容をまとめると、以下の3点となる。

@産地ではやきものを「つくる場」のみならず、観光客が来て楽しむ「消費する場」が必要である。また文化的な雰囲気がないと観光客は来ないであろう。

A技術革新によるやきもの産業のハイテク化が必要である。やきものは決して手作りだけが理想ではなく、タイルの産地で有名なイタリアのサッスオーロでは、技術交流が盛んであることから業界全体のレベルアップにつながっている。

B大学との産・学連携が必要である。イタリアでは、産・学の連携が強く、そこで働く人々は地域にある大学を「われわれの大学」と自負し、卒業生を多く地元で受け入れている。その後の研究会では、情報交換のひとつとして、各産地からの現状・取り組み、課題などの報告を行った。その中で、共通の課題としてあげられたもののひとつに、「やきもののまちの風景の損失」があった。観光客が訪れても、どこにやきもののまちの風景があるのかわからない。昔はどこにでもあった煙突が姿を消してしまったなど。また観光客を呼び込み、交流人口を生み出す起爆剤として、国際博覧会の開催や中部新国際空港、東海環状自動車道等の整備に期待している産地が多かったのも事実であるが、逆に開発によりまちの原風景を壊したくないと言う意見も共通していた。

 では、やきもの産地の振興策として、具体的に何をすべきなのか、何が必要なのか。また産地が連携して何ができるのだろうか。議論の中では、4産地による共同事業の実施、各観光協会を通じた共同観光、産地がそれぞれ役割に応じた人材の育成、産地集積地として大学の設立、など、様々な意見が出された。

 それらは、我々ネットワーク研究会のレベルでできるもの、行政などに呼びかけて今後実施していきたいもの、また将来の夢として描いていきたいものなど多種多様である。しかし、草の根レベルで始まったネットワーク研究会として、まず自分たちでできるものは何であろうか。机上の議論だけでなく、まさに産地が連携した共同事業をやったらどうか

 観光客を呼び込み、交流人口をを生み出す起爆剤という話で盛り上がった。そこで各産地の共通の市場である名古屋で4産地共同のやきもの祭りをやろうということで意見が一致した。産地毎でやきもの祭りはどこもやっているが、産地共同となるとあまりやられていないのではないか。そして単なるやきもの祭りではおもしろくない。せっかくネットワーク研究会としてやるんだから、目的をしっかりもってやっていこう。ネットワーク研究会のメンバーは各産地でのイベントでこれまで活躍し、やきものが好きな人ばかり。これはおもしろいものができるんじゃないかと深く感じた。

4産地の共同事業、その名も「陶・街道やきものまつり」

 今回の共同事業にはネットワーク研究会の設立趣旨に基づき、3つの目的をもって取り組んだ。

 一点目は、「産地のPR」。やきもの祭りは毎年各産地で繰り広げられ、全国にファンを持つ一大イベントとして定着している。今回は、それら従来のやきもの祭りと差別化させ、やきもののもつ芸術性とともに、その文化性も前面にだした生活提案型によるやきもの産地のPRに努め、さらには、やきもの産地が集積する「東海三県」のPRを行う場をめざした。

 二点目は、「産地間の交流」。ネットワーク研究会は、産地や行政と民間といった立場を越えた中での集まりであり、メンバー間の交流はこれまでの経緯の中で図られてきたといえる。そこでメンバーだけでなく、より多くの人々にも同様にして、情報交換や産地間交流ができ、ネットワークを広めてもらえるような、より大きな産地間交流が行える場をめざした。

 三点目は、「産地・生産者と消費者の交流」。ここ名古屋は4産地の中心的位置にあり、最も身近で大きなマーケットであるといえる。そんな名古屋の中心地区「栄」で展開することで、新たな需要拡大につなげていく他、多世代の消費者(購入意志は低いかもしれないが)と顔を見合わせながらのふれあいから、やきものへのニーズやモノを売る空間、売り方など、今後の振興策につながる新たなヒントを発見していく。そんな生産者と消費者の交流の場をめざした。

 「陶・街道やきものまつり」の名付け親は、瀬戸で陶芸を志す小野田秀穂さん。「東海道」ならぬ「陶の街道」で4産地を結ぶ意味が込められ、丸山先生も一押ししてくれた。「陶・街道やきものまつり」の開催は、比較的気候の良い10月4・5日の2日間、場所はNHKビル西側の栄公園と決まった。開催までの準備期間は3ヶ月弱あったものの、費用負担の問題、参加者への呼びかけ、イベント内容、会場の装飾など課題は山積み。正直言って本当にできるのだろうかと思ったこともあったが、各産地からの参加者の取りまとめを研究会メンバーがそれぞれ責任を持ってやっていただいたおかげで、事務局を担当した弊社は、不慣れながらも何とかその役割を果たすことができた。

 初日はあいにくの雨模様。準備段階から小さな雨粒が落ち始め、イベント開始のお昼頃には、所々水たまりができるほどとなった。そんな中、研究会メンバーである多治見市政策推進室の青山崇さんから開会の挨拶が行われ、ネットワーク研究会として初の共同事業がスタートした。

 天気が悪かったことから、出店を見合わせたお店もあり会場内はやや寂しかったが、やきものの笛やオカリナ、アコースティックギターの演奏といったミュージックイベントにより、会場内には暖かな音色が響きわたった。しかし、訪れる人は疎らで、天候回復の願いもむなしく雨は降り続いたため、予定終了時刻の2時間前の午後6時にやむなく初日を終えた。

 翌、5日の日曜日はさわやかな秋晴れの広がるイベント日和となり、早い時間からお客さんが訪れはじめた。前日同様、ミュージックイベントが行われ、ステージの前では多くの人がやきものの楽器が奏でる音色を楽しんでいた。さらにこの日は、陶器の太鼓を製作した瀬戸の「こまいぬ座」が忙しいスケジュールの合間をぬって出演してくれ、小中学生による勇壮なばち裁きと和太鼓の迫力ある演奏を披露してくれた。

 晴天となったことで、ステージの前だけではなく会場内にも人があふれていた。生産者のオリジナルディスプレイのお店や絵付けの体験ができるコーナーなどでは、お客さんとお店の人との活気あるやりとりの声が聞かれ、賑わいのある祭りの雰囲気がそこにはあった。

 また、産地の人々も一般のお客さんに混じり、他のお店を見ながら言葉を交わし、情報交換やお互いの連絡先を教えあうなど、「交流」の場面がみられた。

 そして、周囲のビルに夕陽が映りはじめた午後6時、研究会メンバーで常滑焼の作陶家でもありまた、オカリナ奏者でもある渡辺敬一郎さんにより挨拶とフィナーレを飾る演奏が行われ、盛況のうちに幕を閉じた。

 近代的なオフィスビルや百貨店、華やかな飲食店などが建ち並ぶ都会の真ん中に、歴史、文化、自然(土)にふれられる空間が出現した。単なるイベントではなく、やきものを通して4つの産地(まち)の交流、さらに、都市生活者との交流ができた価値ある2日間であった。

めざすは、世界のやきもの産地との交流へ

 「県や市、そして産地の境界を越えて言い合える関係が築き上げられた。皆、どこかでこういった場を求めていたのかもしれない」あるメンバーの人からこんな声が聞かれた。「交流」を目的に設立したネットワーク研究会。その中で初めて開催した共同事業「陶・街道やきものまつり」は、この地域のやきもの振興の新たな展開につなげる大きな一歩であったといえる。

 全国的に地方分権が叫ばれ、また「連携」や「交流」が多くの自治体のキーワードになっている昨今、その具体的解決策のひとつには、当ネットワーク研究会のような草の根レベルからのスタートなのかもしれない。景気低迷で危機感をもつ産地の就業者とそれに何とか答えを見いだそうとする自治体、そして地場産業を生かしたまちづくりを考え、各自治体と協力してまちのプランに反映させる我々コンサルタントが、共通した問題意識の中から、同じ土俵にたって議論を深めていくことが重要であろう。

 今回のネットワーク研究会はまだ始まったばかりであり、イベントに対する評価も最初の共同事業としては、上々であったように思う。議論の中でも出てきたことであるが、夢は東海地域のやきもの4産地の連携から全国のやきもの産地の連携へ、そしてアジアへ、最終の目標は世界のやきもの産地との連携・交流である。重ねて言うがネットワーク研究会はまだ始まったばかりである。

 最後に、「陶・街道やきものまつり」では予算も時間もない中で、これほどの事業が展開できた背景には、我々の趣旨に賛同し参加してくれた出店者並びにミュージックイベントの出演者、そして各産地から参加してくれた研究会メンバーの方など、多くの人々の理解と協力があったからこそといえます。この場をお借りして御礼申し上げます。本当にありがとうございました。

(加藤達志・村井亮治)

 

メンバーからの

<内容>

丸山 優教授(日本福祉大学経済学部)

やきもの産地ネットワークはこうすればできる

瀬戸焼 小野田秀穂さん

意見交換や話し合いの中から、今後の発展と大きな可能性を見いだしていけることを確信

常滑焼 杉江恵子さん

フィナーレでのやきものの笛の演奏に思わずウルウルしました

美濃焼 長谷川善一さん

四産地が地域の垣根を越えて取り組む過去に例をみない主体的活動でありたい

萬古焼 日置茂二さん

研究会に参加して、皆さんの情熱をもった取り組みがヒシヒシと伝わってきました

<本文>

丸山 優 教授(日本福祉大学経済学部

やきもの産地ネットワークはこうすればできる

 他の地場産業・産地と同様、日本の陶磁器産業・やきもの産地は、かつてなく、厳しい競争に直面している。

 第一の要因は円高の進展。輸出市場の大部分を失う一方(海外移転した工場の製品を含む)外国製品が押し寄せ、デパートはもとより、産地の卸売商でさえも売上の半分にのぼる勢いである。いったん失った市場を取り戻すのは容易でない。かつては「1ドル=130円に戻れば何とかなる」との声も聞かれたが、そうなったいまでも輸出回復の兆しは見えない。

 第二の要因は個人消費の冷え込み。狭くなった国内市場の争奪戦が、いっそう激しくなるなかで新しい市場を開拓したり供給を制限したりするどころか売れ行きが悪くなったらこれまで以上に生産数量を増やして隣の同業者や競合する産地よりも安い価格で出荷するという行動が見受けられる。情けない話だ。

 にもかかわらず、やきもの産的ネットワークを築くことは可能である。なぜか? どうすれば、また、どんな形態でなら可能か?

 第一に、作陶家(やきものの小生産者)の作品の売れ行きを伸ばすためなら、どの産地も協力し合うことができる。これが存外、産地活性化の切り札ではあるまいか。

 どの産地にも多かれ少なかれ作陶家がいる。そして個性的で複製不能な作品を手ごろな値段で世に送り出し続けている。この商品世界に共倒れに終る競争はないのがポイント。また、産地の工業生産者は作陶家と共存共栄の関係を結びうる。現に作陶家の努力に支えられて、産地ブランドの価値を維持したり、製品多様化の着想を得たりしている。

 作陶が生業(なりわい)として成立している国は、世界中を捜しても日本以外にない。それは、多くの消費者が陶磁器に、機能だけでなく生活の潤いを求めるからである。茶碗一つ急須るもの(ニーズと需要)を早くつかむために、大消費地に既存の販売チャンネル以外の窓を設ける活動なら、どの産地も協力し合うことができる。どの産地も「製品の高付加価値化」を目標に掲げながら苦闘している。それは、一つには、生産者が実際の需要を知る速度が遅いからである。さらに、もっと潤いのある生活をやきもの文化の視点から消費者に提案する努力に必ずしも合流していないからである。

 第三に、本来の産地にふさわしい企業文化と市民文化とが違和感なく融合する地域づくりをすすめるためなら、また、それに向けて経験交流をするためなら、どの産地も協力し合うことができる。特に「市民起業家」と呼ぶべき人々、つまり経済が分かり、リスクをチャンスとして前向きに捉える人として信頼されているだけでなく、地域社会(コミュニテイ)への無私の貢献を楽しく実践する人々(企業経営者、作陶家、行政マン、市民活動家など)が自発的に連携するならば、参加者が絶えず増える展開を辿るであろう。私たちのささやかな歩みも、以上を仮説として提起できる地点までには到達したのではあるまいか。

瀬戸焼 小野田 秀穂 さん

意見交換や話し合いの中から、今後の発展と大きな可能性を見いだしていけることを確信

 平成8年12月にスタートしたやきもの産地ネットワーク研究会であったが、早いもので既に1年が経過した。

 思えばこの研究会を取りまとめているスペーシアからこの会に参加しないかとの誘いを瀬戸市役所の職員を介して受けた時苦況に喘ぐ中部圏の窯業産地のひとつ「瀬戸」で窯業の端くれとして作陶に勤しむ私としては、町の沈滞ムードに辟易しながら何とかならないものか、自分自身で何かできることはないだろうか、と自問しながらも一人の力、一地域でできることの限界を強く感じていた時だけに、何か新しい方向性を見いだせるかもしれないと飛びつく思いで参加を決めさせていただいた次第である。

 以来、毎回会合に参加させて頂き、同じような状況下で中部圏の窯業地の美濃焼、常滑焼、萬古焼の皆さんと日本福祉大学の丸山先生を交えて、イタリアの窯業産地の参考例を含めての現状報告から始まり、中部圏の窯業地が共同して地域活性化に資することができる道を探る中で、窯業地間の情報交換を行った。話題としては、窯業地としての観光開発、付加価値の高い窯業製品の開発意欲の喚起とその製品化へのルート作り、窯業製品の流通改革といったことが出ている。

 急速に近代化が進んだ日本の産業界にあって、ほんの一部の大手を除いては依然として古い家内工業的な経営基盤に支えられている数少ない業界とも言える窯業界では、こうした話題が業界全体の中で話し合われる機会は殆ど無かったのではないだろうか。

 この研究会は、未だ明確な方向性が出されている訳ではないが、こうした意見交換や話し合いの中から、今後の発展と大きな可能性を見いだしていけることを確信して止まない。

 

常滑焼 杉江 恵子 さん

フィナーレでのやきものの笛の演奏に思わずウルウルしました

  「陶・街道やきものまつり」の二日目は、前日の雨とは打って変わり晴天に恵まれました。元気のいい四日市の皆さんが、楽焼をするための窯を威勢よく運んでいます。会場は活気づいてきました。一日目はテントがなく不参加だった常滑組も勢揃いし、雨の中頑張った瀬戸、美濃も二日目は皆、晴れ晴れとした顔です。瀬戸・多治見・土岐四日市・そして常滑の東海地域のやきもの4産地が、一緒にまつりをやろうという新しい試みのイベントです。今まで産地間の交流はほとんどなかったため今回のイベントは各産地が協力し、日本中、いや世界中にアピールしていこうという画期的な試みです。

 この原稿を依頼された理由が紅一点という事らしいのですが私は自分で紅と意識したことがなく、その時初めて気付く程、馴染んでいました。それはどうしてかしらと改めて考えてみると、私はやきものに囲まれて生まれ育ち、今もその中で活動している。やきものを通して話をすれば共通点ばかり。言葉の違いはあるものの内容はお互いよく理解できます。初めて会った時から旧知の仲のようでした。

 さて、皆さんは地元で色々とやっているらしく、何事もスムーズに運びます。その上、やっている人の気が非常に良い。だから自然に会場の雰囲気が良くなりました。

 午後からは暑くなり大勢の人手があり盛況でした。フィナーレで、一緒に活動している常滑の渡辺が、やきものの笛で自作の曲「銀河の使者」を演奏したときは思わず瞳がウルウルしてしまいました。

 手作りの心のこもった暖かいイベントでした。このネットワークが来年も再来年もずっと続いていくことを願ってこの原稿を終わりにします。それにしても事務局を引き受けて下さったスペーシアさんほんとうにありがとうございました。

 

美濃焼 長谷川 善一 さん

四産地が地域の垣根を越えて取り組む過去に例をみない主体的活動でありたい

東海地方のやきもの産地が集いネットワークを形成する・・。このネットワークの席に顔を出して以来、今も、その意味を見いだせないままである。

 職業柄、私が携わる仕事と言えば美濃焼という一産地に限定されたものであり、美濃焼の活性化と繁盛―これが与えられた使命といっても過言ではない。この状況を背負い、数回ネットワーク研究会に顔を出した。近県のやきもの産地の人たちを間近に、各産地の有様や活性化のビジョン、経営姿勢、流通、モノづくり、そして産地人のエネルギッシュな活動等の様々な情報がそれとなく飛び交った場であったように思う。

 従来、自治体や量販店が主催する『全国陶磁器産地市』的なものがあり、全国の産地が、一同に会する機会は少なくなかった。しかし違いがあるとすれば『主体性』と『異能・異才的?交流』にあるのではないか。主催者が用意したフロアにただ集まりモノをならべる。少しでも拡販を目指すという「他に優る競争」であり「異質と交わる」性格のものではなかったようである。

 「やきもの産地ネットワーク」では、異質な環境と交わる場を通じて自らの問題意識を浮上させ、既存の概念の打破を感じ、新しいものを創出する姿勢にありたいと思う。各産地の各個人の独自性の尊重を前提に、他とは異なるものをつくるために互いに競い共存する・・。四産地をひとくくりにするのではなく、個々が独自に優れたもの生み出すための共存であり、地域の垣根を越えて取り組む過去に例をみない主体的活動でありたい。各産地が築いたオリジナリティは生活者との間にコミュニケーションを生み、イベントを盛り上げ、場に賑わいを創出してくれる。この「賑わい」こそ、後発国や欧州の多様な陶磁器に対抗する「真のやきものの価値」を教えてくれるはずである。今後ともご支援の程、よろしくお願いしたい次第である。

 

萬古焼 日置 茂二 さん

研究会に参加して、皆さんの情熱をもった取り組みがヒシヒシと伝わってきました

 「やきもの産地ネットワークという組織を作って東海地区の陶磁器産地の業界と行政が集まって研究会をするので・・。」というお誘いを受けて、よくわからないまま会議に出席したのが平成8年の暮れのことでした。そもそも各産地毎にしのぎを削り、よそでヒット商品があればすぐに似たような商品を作ってしまうような間柄で、今更どんな連携ができるのだろうかという思いもあって、先行きを不安視しておりました。

 初会合にはメンバー構成やら会議の内容やら相応の好奇心をもって出席しましたが、日本福祉大学の丸山先生のヨーロッパのお話や各産地の方々のお話を聞いていると、皆さんが日頃からとても情熱をもって取り組んでいることがひしひしと伝わってきました。本当に陶磁器の好きな人々の集まりなのだと、我が身の熱意不足を恥じる思いでした。

 本年(平成9年)夏頃になると、共同イベントの提案がなされましたが、これには準備期間の不足と資金計画の甘さが強く心配になりました。これらの課題が解決されそうにもないことから、当初は四日市の参加は辞退しようと考えましたが、他の産地が全て出るということから四日市だけ抜けるわけにもいかず、9月の中旬になって急遽何とかしようと言うことで形を取り繕うこととなりました。そういうわけで、産地内ではこの案件については出店しないということに決めてしまったこともあり、場当たり的な対応しかできなかったことを他の産地の皆さんに申し訳なく思います。

 四日市は少し腰が引けた形でしか対応できませんでしたが、それなりに楽しい2日間を過ごすことができたのは、研究会の皆様方の努力の賜物とこの紙面をお借りして厚く感謝したいと考えています。これからも互いに切磋琢磨して良い陶磁器産地を作っていきたいと思いますしこの研究会が実り多いものになることを切望いたします。