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酒蔵コンサート
平成10年10月17日場所:津島市・割田屋酒造株式会社

はじめに

初め、津島神社の門前町として栄え、次には繊維の町として栄えた津島市。しかし、その面影は今はなく、町はさびれつつある。そんな中、まち再生の手がかりとなりそうなものを感じさせる、蔵元による「酒蔵コンサート」を取材した。

割田屋酒造

 創業は天保元年(1830年)、岐阜県大垣市割田町にて酒造業を営みはじめた。屋号の割田屋はここからきている。現在の地に店を構えたのは、明治2年(1869年)、今から100年以上前になる。

 現在は、桑原邦嘉さんのお母様が社長であり、邦嘉さんと弟、それに従業員と、酒づくりの季節である冬場に新潟からやってくる杜氏さんたちで会社が成り立っている。

酒蔵コンサート

 初めて酒蔵コンサートを開いたのは10年程前であり、詩吟と一人芝居を行った。昨年からは定期的に開いており、5月、9月、10月にコンサートを開いている。なぜこれらの月なのかといえば、酒造期間の11月から4月までは蔵の中いっぱいにお米が積まれており、また、6月は梅雨、7、8月は暑くて蚊が多いため、必然的にこれらの月になるのだという。

 定期的にはじめた去年から、これまで6回のコンサートを開いてきた。

 いずれの演奏者も、メジャーではないが、地道に活動しており、「魂に響くような」歌、音色を出すことのできる人だそうである。狭い酒蔵の中に観客がびっしりと入るため、コンサートでは演奏者と観客の物理的、心理的距離が非常に近い。

集まる人々

 コンサートを聴きに集まってくるのは、邦嘉さんが顔を出す会合などで一緒になる、お馴染みのメンバー他口コミでやってくる人がほとんどで、120名程入れる酒蔵がいっぱいになることもある。名古屋から来る人がほとんどだが、話を聞いて東京や大阪などからかけつけてくれる人もいる。また町内の人は無料で招待しており、お年寄りが多いせいか、初回の寄席の時はかなり盛況だったという。受付やセッティングなどを手伝ってくれるのは、やはり馴染みの仲間達である。

お金のこと

 コンサートは非営利である。会費はいつも2000〜2500円。酒1合(第6回は「新鯛」のカップ酒)か、コーヒー一杯をつける。場所は自分のところ、人手はボランティアだからお金はかからず、ちらしも白黒コピーで安く作っている。最もお金がいるのは出演者へのギャラだが、用意できる範囲内で引き受けてくれる人ばかりである。だから、収入もないが、持ち出しもない。

魂を揺さぶる波動を世に伝える

 この世に存在するすべてのものは、それぞれ固有の「波動」を持っているのだそうだ。割田屋では、この波動理論を酒の醸造にも活用し、水の波動(=エネルギー)を高く維持しながらの酒づくりを試みている。また、酒蔵コンサートの出演者達は、皆、人の魂を揺さぶるような波動を放出する人々であり、彼らの波動と観客の波動がコンサートを通じて共鳴することをねらっているという。

古い町を守ってゆくためには

 割田屋さんのある、津島市の旧市街地は、昔からの町並みがよく残っており、一般に公開はしていないものの、いいお茶室などが残っている家も多いのだという。そういう町の財産を、今は自分たちだけで守り続けているが、高齢化が進んでいるこの地域には若い人手が少なく、維持管理が大変である。これからは、例えば、桜や藤の美しい季節にお茶室を公開するなど、財産を広くアピールすることが、昔から引き継がれてきたものを守ってゆくために必要なのではないかという。割田屋さんでも、藤まつりの時期等に酒蔵を公開したりしている。また、昨年の市制50周年のイベント「食べリンテーリング」(4人一組のグループが、町を歩き回って津島の味を堪能するというイベント)では、市の呼びかけに応じて「酒・つまみ関所」として参加した。

 また、津島に人を集めるということでは、春の藤まつり、夏の天王まつりはマンネリ化しており、ここで「新しい動き」が必要であると強調する。例えば、特産品ひとつとっても、くつわ(馬のくつわの形をした固い焼き菓子。津島の伝統的特産品)のバリエーションとして、柔らかいくつわ、チーズ味、ペッパー味、カレー味のくつわなどを開発したり、たい焼きでも「炭火たい焼き」を売り出すなど、工夫が必要と言う。年配の人だけでなく、女子高生や小さな子供、カップルを呼べる企画が必要であり、そのためには旧態依然の体制を変える必要があると話してくれた。

(1998.11.11/伊藤)