風水という古代中国からの考え方があります。日本における家相(鬼門、裏鬼門など)や暦などの吉凶占いとは異なり、もともとは地相をみるものであります。必ずしも建造物等の吉凶をみない訳ではありませんが、風水の原点は「気」の流れなので、「気」をみる様ならば風水といえるかもしれません。
風水とは何かということを、簡単に説明していきます。まず、風水には「龍(りゅう)」「穴(けつ)」「砂(さ)」「水(すい)」という四つの考え方があります。「龍」とは、山や山脈のことで、山の起伏や高低を龍に見立てて大地の生気の流れを表し、高地から低地へ流れていく地形を良とします。「穴」とは、龍地である山や山脈から流れてくる生気を聚集する地点をいいます。「砂」とは、穴地の周りの山や丘、凸地のことをいい、左辺にあると青龍、右辺を白虎、前面を朱雀、後面を玄武といいます(下図参照・・・東;青龍、南;朱雀、西;白虎、北;玄武)。「水」とは、穴地付近にある川、湖、池、海などの水気をいい、龍地の生気をとどめる場所です。この水地の周りに開けた場所があれば「明堂」と呼び、土地の吉凶がわかってきます。この四つの観点から、土地の形勢を概観して風水上の吉凶をみて、よい土地であるのか判断するのです。下図は風水の適地を示す図で、背後に山、左右に山、前に川が吉というものです。風水上の適地であるといわれている都市とは、中国では長安(現在の西安)や成都(四川省)、韓国ではソウル、日本では京都や奈良などがあげられます。では一体何を持って風水の適地といえるのか、わかりやすいので京都で例えると、大きく北から東山に流れる龍地、穴地や明堂である朱雀大路と御所、東の鴨川と西の桂川が合流して西南へ流れて水地を形成しており、自然に形成された風水上は吉相の土地であるといえます。
このような風水の考え方を都市計画に適用することは極めて重要で、京都や長安が都として長命であったことからも証明できます。歴代政権(幕府)でも、徳川幕府の江戸形成において天海僧正が風水を取り入れています。西より富士山の気を引込んで龍地とし、神田川や隅田川の流れを替えて江戸城周りの堀を「の」の字に築造して水地とし、神田山を崩して日比谷入江を埋立て江戸城前面は明堂とし、仕上げに上野寛永寺を北西に造立しています。また私見ではありますが最近の例でいうと、韓国ソウルの景福宮前面にあった旧朝鮮総督府を解体してから、韓国の国力上昇には目を見張るものがあります。GDPの上昇と空運や海運の集中策等による経済力と観光力の上昇、国連事務総長を輩出し、芸能人やスポーツ選手の世界進出が顕著なのは風水の影響でしょう。
都市全体と都市周辺を概観して、龍地である周囲の山、水地である川、穴地や明堂である中心市街地を形成していることがわかれば、風水も楽しくなってきます。更に考えれば、龍地からくる大地の気を流し、水地にとどめることも都市計画には重要で、気をよく流すために道路・公園・河川を風水思想によって整備することが望ましいと考えます。また、高低があり不揃いな建造物による調和のない街並みは大地の気の流れが悪くなって都市の発展を妨げ、気を流し、気をとどめるために都市計画や都市景観が影響するものと筆者は考えています。そのためにも都市における土地利用計画は重要で、類似用途の建造物等が、調和と規律を持って都市を形成することが大切になってきます。
|