岐阜駅前の問屋町の再開発事業も佳境に入り、権利者への同意書の取り付けや建物除却のための移転の準備が進められている。そんな中、この取り壊される問屋町の最後の姿を、なんとか多くの方々の記憶にとどめようと、あるアーティストから、再開発組合に対して再開発の区域内の商店街を活用したアートイベント開催の協力要請があった。詳細は未定のため、ここでは触れないが、再開発組合の理事会では協力すべきか否かで、少し議論になった。場所の協力は良いとして、費用の協力となると反対の意見も多い。イベントが開催されれば、新聞やテレビなどのメディアで紹介され、再開発事業のアピールにもなろうが、それだけでは効果を多くの権利者に納得してもらうことは難しいだろう。
そもそも、こうした文化活動とは何のために行うのか。一般的に文化や芸術は、不要不急のものであるという固定観念が根強い。最近話題になった、名古屋城本丸御殿復元の討論会でも、このご時世にお金をかけなければならないことが他にあるのではという意見もあがる。しかし、こうした事業の本来の目的は、地域アイデンティティの形成である。再開発事業も本丸御殿復元も収支を合わせ、建物を建設することが事業の目的ではなく、建物を建設することで、地域の価値を高めていくことが目的である。それには、経済のみならず市民文化の活性化も必要となるはずである。
冒頭のアーティストは、この再開発事業の権利者の息子さんで、子供の頃は問屋町で遊んでいたそうだ。自分の原点とも言えるまちの最後に直面し、アートを通して多くの方々にまちを記憶にとどめるためのアートイベントを思いついたそうだ。イベントの費用は再開発組合が負担しなくてもなんとか目処は立ちそうなため、イベントは実施されるだろう。こうした市民の一人一人の記憶に残る何かの積み重ねが、まちのアイデンティティ形成にはとても重要であると思う。また、アーティストにとっては、残り続ける記憶の強度がアートの価値と言えるかもしれない。
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