松欅堂は豊田市の中心部から南西に6kmほど行った、若林という所にある個人美術館である。田園風景の中、黒光りする外壁が異彩を放つこの建物は、新梅田シティーや京都駅で有名な建築家、原広司氏の設計である。私は2年ほど前にここを訪れているが、その時は閉館していて入れなかった。この美術館の開館日は少し変わっていて、基本的に毎月16日から26日(月曜休館、2月と8月は休館月)となっている。今回はちゃんと開館日を調べて行ったのであるが、今度は開館時間が14:00〜18:00ということを知らずに、12:00頃着いてしまい、またしても入れない始末。仕方なく2時間ほど時間をつぶし、14:00時きっかりに玄関の戸を開けてみると、またしても入れないのである。よほどこの建物には運が無いのかと、途方にくれていると、「すいません!」と元気な女性が鍵を開けてくれ、念願かなってやっと入ることができた。展示室内は外観とは印象をまったく異にする白い空間で、街路のような複雑な空間に、はるか上方のトップライトから、やわらかい自然光が降り注いでいる。
さて、室内にはさっきの女性をはじめ、オーナー夫人と近所のおじさんがいたのであるが、この方々の会話が面白い。オーナーが「この絵、少し赤が入っていたら買おうと思ったの。」それに対し、おじさんは「この絵はビールの泡みたい。」それを聞いた女性は大笑いをしているといった感じである。そんな雰囲気なので、私もいつの間にか仲間に入り、そして、いつの間にか他のお客さんと奥へ上がりこんでいっしょにお茶を頂くという幸運に恵まれた。偶然にもその見ず知らずのお客さんも建築士で、建築の話で盛り上がっているとき、オーナーに松欅堂の興味深い話を聞くことができた。
松欅堂は26年前に、当時、粟津邸や自邸の設計で有名になっていた原広司氏に依頼。その時の条件に、「私の設計に文句と付けない」ということを言われたそうだ。そして、いざ工事が始まってみると、地元の大工では出来ない仕事が多く、大工が2回も変わる難工事となる。その度に工事は数週間止まるため、近所では「あの家はお金が無くて、工事が出来ないらしい」などど、良からぬ噂が立つこともあった。とうとう、オーナー夫人はうつ病になってしまい、つらい日々を過ごすこととなる。それでも、超一流の建築家は自分の信念を決して曲げない。私なら、オーナーを病気にしてまで自分の思い描くものを造ろうとはせず、まるく収めることを考えてしまうが、このあたりが、凡人と超一流の差であると、話の最後に実感する。原広司氏は、その後も至って冷静に着々と問題を解決し、所員にも当り散らすこともせず、紳士的に仕事をこなし完成を向かえる。さて、その後、この美術館はメディアへも登場し有名になる。そうすると有名な作家も展覧会の開催を引き受けてくれ、時には、是非やらせてくれとのオファーも来るようになる。オーナーも建築家も大工も、みんな苦労して造ったこの美術館は本物の建築であり、本物には本物の作品が自然と集まってきたのである。最初に鍵を開けてくれた元気な女性は、オーナーの娘さんかと思いきや、実は赤の他人でいつの間にかこの美術館の面倒を見ているそうだ。今では豊田で広く文化的なまちづくり活動にも関わっており、忙しい毎日を送っている。本物の建築はこうした人材もいつの間にか育ててしまう力があるのである。
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