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音羽町の回舞台
 古くは東海道の宿場「赤坂宿」として栄えたまち、音羽町を訪れた。案内人は宮大工の杉村幸次郎氏である。杉村氏は現在、音羽町の依頼により、杉森八幡社回舞台半解体・再生工事を請け負っている。
 杉森八幡社はその起源は古く、西暦702年とされ、祭日には神楽の奉納、人形芝居、明治以降には歌舞伎などが行われ、町の文化を培ってきた場所である。舞台は、宿場町として栄え交流人口が多かった音羽町ならではの財産だといえよう。常設の客席を持たない野外形式の舞台は主に歌舞伎舞台として使用され、花道の取り付け跡や楽屋、浴室も付帯する立派なものであったようだ。町内に残っていた図面や、お年よりの貴重な証言をもとに、当時の姿を復活させようと盛り上がっているようである。

 現場は足場が組まれ、シートがぐるりと囲んでいて、回舞台の姿がわかりにくいため、同じ音羽町内の下賀茂神社に残っている回舞台を見に行った。やや規模は小さいが、その姿を立派に残していた。役者や演奏者、衣装係といった当時の舞台人が「日本一の囃子」などと、舞台の袖の壁に落書きしたサインがほほえましい。

 杉村氏にもはじめての試みで、非常に苦労されているという。「これが実績となって、各地の回舞台を持つ自治体から声がかかったらどうしますか?」と聞いたところ、「勘弁してよ、大変だよ。」と言いながらも、舞台を見上げる杉村さんの笑顔が印象的であった。

(2000.6.4/竹内 郁)