7/28(木)愛知国登録有形文化財建造物所有者の会の活動の一環として、豊川市の白井家住宅を視察した。現地では所有者であり、ものつくり大学名誉教授の白井裕泰氏より解説をしていただき、修復工事中の現場を見学させていただいた。参加者は修復手法について熱心に質問したり自由見学中に参加者同士で意見交換をしたりするなど、とても充実した時間を過ごしたようだった。
白井家住宅は江戸末期より造酒屋を営んでいたが、白井氏の祖母の逝去以降、長年空き家となっていた。白井氏の「残したい」という思いから2004年に国登録有形文化財となると、2005年には西側に建ち並んでいた酒蔵群を解体し、白井ゼミの学生と、長年の付き合いである高橋定信棟梁とともに、残された主屋の修復工事に取り掛かった。
工事着手前の主屋には東と南の土台がなかったという。簿記書によれば、明治30年(1897)頃、下屋(げや)の修理をした際に腐った土台を取り除いたきりであるというから、2005年まで100年以上もの間、二方の土台がない状態だったのである。長い間に建物は傾き、柱と壁の間に最大で9cmほどのすき間が開いていた。白井氏と高橋棟梁は、まずはこの傾きを修正することが何よりも先決すべきだと考え、庭の木にワイヤーをつなぎ、北西に引っ張ることで“屋起こし”を行なった。持ち上がった束の下には新しい木で根継ぎをし、部分的に集積材や樹脂などやわらかい素材を用いることにより、礎石の沈下によるすき間を埋めた。建物を垂直に建て起こした後は現在に至るまで、床や下屋や表の格子戸など、毎年少しずつ修復・復旧を進めている。
視察当日、囲炉裏で火が焚かれ、室内全体、特に2階以上の空間には煙が充満していた。これは虫よけのためや、木材の補強のためとされる。白井家の柱梁は、生活の中で長年いぶされ黒くなっている。修復により、古く黒い木材と新しく白い木材が接ぎ木されている様子は、この建築が今まさに生きていることを感じさせる。昔ながらの工法や材料を生かしながら、現代の工具や集積材を駆使することが、現代における伝統の継承なのである。
「完全に復元するにはもう10年かかるが、将来的にはコミュニティセンターとして地域の人々のたまり場にしていきたい」と白井氏は語る。100年生きた町家が次の100年を生き抜くために、白井家住宅は再生の最中である。
白井家住宅は、11/13(日)の「愛知登文会 建物特別公開2016」にて内部を公開させていただく予定である。その時分には修復工事は行なっていないものの、町家再生の過程を体感できるため、ぜひ足を運んでいただきたい。 |