半田赤レンガ建物には3つの意義があるという。
第1は、建築物としての遺跡。「造形の規範となっているもの」として登録有形文化財に登録されている。明治建築界の三大巨匠の1人妻木頼黄(つまきよりなか)の設計だ。妻木は明治政府の建築物のほとんどに関わった官僚建築家で、東京駅を設計し学界でも活躍したアカデミー派の辰野金吾(たつのきんご)、赤坂離宮を設計した宮廷建築家の片山東熊(かたやまとうくま)と並び称される。残念ながら妻木の作品で現存するものは少ないが、その貴重な1つが半田赤レンガ建物なのだ。地方都市の半田の民間工場をなぜこのような巨匠が設計したのか。不思議だ。使われたレンガの数では日本で4番目に多い建物であること、現存数が少ないビール工場の遺跡であること、耐震建築の先駆的実例であることも建築物としての重要な点である。5重の複壁や耐火床など、安定した湿度と温度を必要とするための特徴的な構造もみどころの1つだ。
第2は、郷土産業の遺跡。明治時代、大都市を控えた4大ビールメーカー(サッポロ(北海道)、アサヒ(大阪)、キリン(横浜)、エビス(東京))に挑戦した地方都市のビール会社、それがこの建物で作られたカブトビールである。半田の先人たちが大ビールメーカーに立ち向かった心意気と豊富な財力と技術力を有していたことを雄弁に物語っている。
第3は、戦争の遺跡。終戦を迎える1ヶ月前の明治20年7月15日、半田市は空襲を受け8名の死者がでたが、その際の米軍機による機銃掃射の跡が建物の北面に残されている。戦争遺跡として残されているものは多くなく、戦争の悲劇を次代に伝える遺跡として貴重な存在である。
半田赤レンガ建物は戦後日本食品化工の工場として使われてきたものの、平成6年に閉鎖され、取り壊しが始まったが、歴史ある建物を残してほしいという要望を受け、半田市が敷地を買い取り、建物を無償で譲り受けた。その利活用についてこれまで様々な検討がされてきたが、いよいよこの建物を観光拠点として整備することとなり、この8月には基本設計に対するパブリックコメントが実施された、来年度より建物の改修工事を実施し、平成27年度には市民に常時公開される予定だ。
半田赤レンガ建物は平成14年より、毎年数回の公開が行われてきたが、工事に入るため、このような形での公開は最後となる。この機会に、半田市のこども達にこの建物の魅力を知ってもらい、その魅力を建物を見にきた人に伝えてもらおうという取り組みが、愛知県国登録有形文化財建造物所有者の会(略称:愛知登文会)主催のこども文化財ガイド事業である。8/26にその第1回講座として、まずは市の方に建物を案内してもらった。次回9/15には教材などを使ってその魅力を学ぶとともに、ガイドの役割分担を決め、建物公開日の9/22には子ども達自身にガイドをしてもらう予定だ。
こどもガイドは昨年始めて名古屋テレビ搭で実施し、その事業実施を担当したが、「緊張したけど楽しかった」と言っていた子ども達の姿が印象的だった。今回はどんな姿をみせてくれるか楽しみだ。
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