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ご当地検定「なごや四百年時代検定」顛末
 前回のメルマガ(2008.1.21)に「ご当地検定」と題し、全国の動向や特徴を整理して、名古屋もようやく検定が始まった旨、およびそれに受験することを宣言した。そして3月9日(日)に受験した。正確な数字は不明だが、新聞報道では1,600人以上の申し込みがあり、年齢層は9歳から88歳まで、県内外から集まった約1,500人(当日欠席があるため)が受験したようだ。出題数は100問で四肢択一のマークシート方式で70問以上の正解で合格となる。他都市の状況は分からないが、京都・文化観光検定や江戸文化歴史検定が1万人を超えているのは例外として、1,600人は名古屋のポテンシャルとして妥当な数字なのだろうか?富士山検定で600人弱(1級・2級とも)の受験生であった。
 結論からいえば、受験し甲斐がないことである。簡単な試験であり、噂では80%以上の合格率だと言われている。まったく何も勉強しなくても4割は回答でき、公式テキストを勉強すれば8割以上は回答できそうな内容であった。不合格のほうに希少価値がある。「よくこんな簡単な問題を解けなかったって、逆にアッパレ!」とか「よくもまあ、公式テストを勉強もせず受験したもんだ。その心意気がすごい!」という感じであろうか?落ちた人に称賛の嵐だ!
 ちなみに江戸文化歴史検定の第一回目の3級合格率は87%、2級合格率は44%、第二回目の3級合格率は69%、2級合格率は16%、1級合格率は0.2%(2名)であった。また富士山検定では2級合格率は53%、1級合格率は14%であった。
 このなごや検定はできるだけ多くの人に合格してもらう入門的試験だったのかもしれない。設問例。22)東海道の知立と鳴海の間にあり、元禄年間以降、絞り業で発展した町はどこか/@大高町、A伝馬町、B有松町、C阿久比町、23)1600(慶長5)年、東軍徳川家康が西軍豊臣軍を破った天下分け目の戦いは/@関ヶ原の戦い、A壇ノ浦の戦い、B長篠の戦い、C小牧・長久手の戦い、30)徳川義直が信仰していたのは/@ヒンドゥー教、Aキリスト教、Bイスラム教、C儒教、などなど。引っかかりようがない選択肢であった。
 これに、中級編、上級編と続いていくのであろうか?これを契機として、名古屋のことをもっと知りたいと思う市民が増えればしめたものである。常にレベルアップしたいと思わせる仕掛けが求められる。
第1問の「名古屋城築城開始400年を迎えるのはいつか」と周りの人間に聞いてみると、意外や意外、正解率が非常に低かった。2010年は思ったほど普及していないことがわかった。
 上級合格者(現在はないが)には、金鯱の紋どころの印籠はどうであろうか。「この印籠が目に入らぬか!」と言える優越感は、金銭の比ではない?
 ただし、われわれコンサルタントを職とする者にとって、最も忙しい年度末(3月)の検定試験はやめて欲しい。強く望むところである。

(2008.3.17/井澤知旦)