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川原町の町並みの表と裏

岐阜市
 先週の土曜日(2007.3.3)に、近くにあってもなかなか行く機会がなかった伊奈波地区や川原町地区へ、中部都市学会の活動の一環で出かけてきました。仕事の関係で遅れて参加したため、地区の概況やまちづくりの取り組みについて、富樫幸一岐阜大学教授(ぎふまちづくりセンター副理事長)の解説を聞くことはできませんでしたが、現地案内のなかで話を聞き、体感した次第です。

 伝統的な町並みを保存する動きは、伝統的建造物群保存地区といった質が高く量的にも集積している地区のみならず、日常生活の中に息づく町並みへと広がっているのが現状です。今まで、あまり注目されなかった歴史的な地区も掘り起こされ、磨かれて、光を放っているものも生まれてきています。世界遺産でなくとも世間遺産(少し口ごもれば世界遺産に聞こえる。命名は地域交流センター理事長田中栄治氏)として、地域の誇りにしていく動きがあります。

 伊奈波から川原町までの散策は、一見なんともない街のようですが、道・水路・蔵・町家など城下町の痕跡を数多く残しています。なかでも地名が残されているのが往時の暮らしを感じることが出来ていい。木挽町・材木町(東・西・上がある)・茶屋町・金屋町・大工町・魚屋町・靱屋町・米屋町などが代表例です。道も直線的でなく、緩やかにカーブしているのがいい。

 川原町地区の町並みは徐々に変わってきているとは言え、町家の連続性があってまとまっています。ここは江戸時代に長良川の水運を利用した川湊として栄え、長良川上流から木材や和紙の陸揚げが多くなされましたが、それらを扱う問屋町として発展してきた経緯があります(よって、木挽町・材木町がある。)。

 町並みを残すには住民の理解と取り組みへの努力が不可欠です。川原町地区では「川原町まちづくり会」が地元自治会とともに2001年に立ち上がりました。長良橋東でのマンション建設が契機になっているようですが、地元ではまちづくり憲章からまちづくり協定へとレベルを高め、住民の共通理解を得るよう積極的に働きかけてきました。

 川原町地区を歩くと何かコミュニティっぽい、言い方を換えれば身内っぽい雰囲気が伝わってきます。地区内にイタリアレストランがあり、そこで結婚式が行われようとしていましたが、自然と「おめでとう!」という声が出てくるのです。そして、何度もマスコミ等で紹介される川原町屋は、表も中も裏も見どころのある場所になっています。たまたま、3月3日に行ったので、お雛様の展示販売が行われていました。和風の家屋にお雛様はよく似合います。石垣の上に蔵や町屋がそびえ赤の和傘と桜、そして石段の上に咲く花も心を和ませます。何とはなくほっこりとさせる川原地区でした。

 岐阜は十六銀行、宿屋は十八楼……………。なかなか語呂が良いですね。

追伸:同行していたA教授が、東京に行った際、メイド喫茶に行ったそうです。そこは老人が多く集っていて、なぜメイド喫茶に聞いたところ、「冥土のみやげに」と答えたそうな。ええ加減にせい!

緩やかなカーブが心地よい。
門灯に赤いポストのあるのが川原町屋の表

喫茶店となっている蔵と赤い和傘の
コントラストがいい川原町屋の裏



お雛様が展示販売されている川原町屋主屋の2階の中


石段の上に咲く花は一段と美しい



新婚カップルに「おめでとう!」と自然に声をかけてしまう。
(プライバシー保護のため遠目のショットにしました)



(2007.3.5/井澤 知旦)