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明智町・日本大正村
 明智町に「日本大正村」の構想をはじめて提案した人物は、明智町の人ではなく、文芸写真家・澤田正春氏であった。大正村づくりが始まった昭和50年代後半は、全国でテーマパークやリゾート開発がブームとなる一方で、地方の過疎化が問題となり、この町でも国鉄明智線の廃止問題で大きく揺れていた時である。そんな中、澤田氏は町おこしとして「日本大正村」構想を地元有力者ともに発案するのであるが、「なぜここが大正村を名乗らなければならないのか。」「古くさすぎる。」といった非難をあびることとなる。しかし、この「大正」という言葉が後に脚光を浴びるきっかけを造る。

 「日本大正村」は当時非常に多くのメディアにより紹介されているが、その要因の一つに各界の著名人が町の要職についていたことがあげられる。女優の高峰三枝子氏をはじめ、元警視総監の国島氏、相撲協会の春日野理事長等々である。これらの方々は明智町とは縁もゆかりもないが、共通することは、みな大正生まれということだ。実は東京に大正生まれの著名人で構成する「大正会」という親睦団体があり、そこが大正村のまちづくりに一役買って出たのである。明治村だとこうはいかなかったわけである。

 大正村のまちづくりは多くのボランティアの手で行なわれており、町を歩くとその手作り感覚の穏やかさがよく伝わってくる。私が気に入ったのは、木製建具、モザイクタイル、レトロ看板といった我々の世代にたまらなく郷愁をかき立てる物をちりばめた商店が、ほどよく寂れながらも生き生きと生活を支えている様子であった。この町は大正に限らず、時代を通じてまちを大切にしてきた自然な姿があるように思え、それが多くの人の懐かしさを呼び起こすのではないのだろうか。

 最後に余談ではあるが、H15年に美濃加茂市に「日本昭和村」がオープンするそうである。昭和30年ごろまでの日本の町並みを再現した施設が計画されている。これで「明治村」「大正村」「昭和村」が揃うこととなり、意味なくうれしい気がするのは私だけか。  



(2002.10.17/堀内 研自)