名古屋は第二次世界大戦で幾度もの空襲を受け、既成市街地の大部分が焦土と化しましたが、そのなかで罹災を免れて現在まで歴史を繋いできている地区の一つに白壁地区があります。ここは白壁、主税町、撞木町など由緒ある地名を持つゾーンの総称で、名古屋城から南東に一・五qのところに位置しています。まさに都心の只中にあるイメージです。
《名古屋の宝/近代建築群》
江戸時代には中級武士(三〇〇石級の組頭)の屋敷群でした。「中級」といっても600〜700坪程度の敷地を抱え、現代では大邸宅の部類に入ります。現在では江戸時代の遺構はほとんどありませんが、その街割が残っているため、土壁と相まって、今日のまちの姿(イメージ)を規定しています。明治になると、士族授産の展開により、近代産業の推進の地になっていきました。白壁一帯は、瀬戸・多治見の両街道の集合点に近く、敷地規模が大きいため、陶磁器の絵付け業や卸問屋が集積していきました。大正中期になるとこれらのうち工場系はより外縁へ移転していくことになります。そして明治後期から昭和初期の間に、名古屋の財界人のモダンな邸宅も建ち並ぶようになります。よって、白壁地区の建築資産は明治後期から昭和初期にかけての近代建築群にあります。 |