山湊の設立(以下は山湊の福田社長と都市計画課古市氏の話より)
新城のまちづくりは、平成6年にさかのぼる。驚異的な発展をとげていた兵庫県三田市を市長が視察した折、とりのこされている中心市街地の窮状が、新城市とよく似ていたことから危機感を持ち、商工会支部にまちづくりを呼びかけ、まちづくり研究会が始まった。
研究会で市街地整備の必要性が理解されたが、住民や権利者の合意を得ながら整備を進めていくのは大変である。それではまず、意識づくりから、ということで、住民が「会社への出資」という形で間接的にまちづくりにかかわる「山湊」が設立された。市が1000万、住民が一人10万円で100人が株主となり、資本金2000万円の山湊ができた。主要な目的が中心市街地整備なので、関心が中心新市街地に向くように、意図的に5〜6割の株主は中心市街地の住民となっている。こういう方式で市民参加を進めるということを、まず市長の合意を取り付け、それから議会など下におろすという、トップダウンの方式が採られた。ただし、議会の理解は未だに不十分という。商工会議所のかかわりは、出資者として参加している程度。全市を網羅する商工会議所が、中心市街地という、偏った地域に肩入れするのは難しいのだそうだ。
山湊の設立にあたり、コンサルタントの協力は得ていない。コンサルタントに業務委託をしても、「市活性化のためには核となる商業施設整備」など、あまり現実的でない、パターン化した提案しか得られないから、と言われてしまった。また、立派な「道の駅」などを整備すると、その施設がひとり勝ちしてしまうため、既存商店と一緒にやっていける方法を考えたのだという。意識改革が進めば、市街地整備が進むだろう、ということで、すべての過程において、市の都市計画課が重要な関わりをしている。問い合わせなどの応対もすべて引き受けておりとても大変だが、やりがいがあるという。若い職員は、縦割りの枠を越えて支援してくれるのが嬉しい。山湊の性格上、所管を商工観光課に移すという話がある。
湊屋、山の工房、富貴館
新城市は、もともと豊橋方面の水運(豊川)と信州方面の陸運(馬)をつなぐ、交通の中継地点として、江戸期から明治中期にかけて栄えたというまちで、山湊という名前も、「山の湊に馬が浪のごとく往来する」ことを表す「山湊馬浪」からとられている。もともと中継地点であり、人々の目的地にはならないというのは、今も同じ。だから、その通過する人々を引き寄せるような施設をつくろう、そして、中心市街地に再び地元の人が集まるように、とつくったのが、物販の「湊屋」、工房「山の工房」、ギャラリー「富貴館」の3つの店舗である。
空き店舗が活用されている湊屋は、奥三河の物産を扱う店舗及び喫茶がある。新城だけでなく、奥三河全域の物産を扱うのは、もともと物資の中継地点でもあり、新城独自の特産品というのはあまりないためだ。喫茶店は観光客向けではなく、新城駅から新城市民病院などに行くお年寄りなどにきてもらおうという意図で設けた。実際、そういったお年寄りの利用は多いという。物産では、黄緑色の繭をつくる天蚕(てんさん)という蚕の繭でつくられたアクセサリーなどが珍しい。(浅野 健さんがひとつ買ったので見せてもらってください)。
精米所をリフォームした山の工房では、藍染めなど、地元の人向けのカルチャースクールが開かれている。
築後100年という木造の旅館を転用した富貴館は、市民ギャラリーやミニコンサート会場として使われている。
その他、地元の酒蔵日野屋商店とタイアップして、米から育てる酒づくりの企画や、三河杉のインテリア商品の企画や販売なども行っている。それぞれの企画については、担当の人がそれぞれ個人のネットワークで人を集めているそうだ。
山湊の経営
資本金の2000万円のうち、1200万円は店舗改装費に使った。売り上げは、湊屋が年間1300万位、ギャラリーは年間1800万位。その中から、店舗で雇っているアルバイトの人の給料や、家賃などを出す。家賃は3店舗合わせて月に40万位(光熱費込み)、人件費を入れると、月に70万程度である。内情は厳しく、現在、420万円の経常赤字を出している。社長の福田さん以下、取締役は皆無償ボランティアであるが、来年度からは、若干の報酬を考えているという。取締役は、社長の福田氏が化粧品屋で、その他古紙回収業、役人、設計業など、それぞれが本業を持っている。
山湊の活動により、中心市街地の商店街全体の売り上げが伸びたかというと、国全体の景気も年々悪くなっている中、そんなに単純に目に見える効果があがったわけではない。しかし、「みんなでいいまちをつくろう」という意識は確実に広まったと確信しているという。一口10万円の出資者の中には、出資しただけで、活動にはかかわっていない人も多い。しかし、10万円という額は、出して、それっきり忘れてしまうというものではなく、出資者にそれなりの意識が生まれるという。
まちなか博物館
また、「新城まちなか博物館」として、「新城市内に住む、技を持っている人」の作業場を指定し、市民向けのマップをつくった。(これは教育委員会がつくったものだそう)。特に「博物館」としての整備を行っているわけではなく、かかった費用は、木製の看板をそれぞれの博物館に配ったくらい。あらかじめ予約して、見学を受け付けている。見学できるのは主に平日の日中。 |