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豊田喜一郎伝/和田一夫・由井常彦著

名古屋大学出版会/2002.3

 東海地域は「ものづくり」の地域と言われる。そう評価されるようになったのは何故なのかを知ることは、当地でまちづくりや地域開発等に係わるものにとって基礎情報の一つであろう。
 江戸末期から昭和初期にかけての当地域の経済史は「『創意に生きる−中京財界史』城山三郎 文春文庫 1994.7 ¥500」が必読の書というべきものである。もともとこの書籍は1955年から半年にわたり、杉浦英一の名で中部経済新聞に掲載されたものである。このテーマで、この書籍を超えるものは未だ出ていない(と思う)。

 さて、本題。今日の日本経済を牽引する産業の一つに自動車産業がある。そしてその筆頭がトヨタ自動車である。トヨタは繊維産業から自動車産業へ日本の産業構造転換を一つの企業として体現しているという見方もできる。その中心人物が豊田喜一郎であり、その伝記が本書である。
 この書籍はもともとトヨタ社内向けに書かれたものを普及書として読みやすく改訂したものである。社内版の伝記というと得てしてヨイショ記事や英雄伝になり勝ちであるが、この書籍はできる限り調査をし、根拠となる文献にあたりながら記述しているので(よって注釈が多い)、そのようになっていない。
 その一つの例。豊田G型自動織機の特許権を英国の「プラット社」に10万ポンドで譲渡した件はよく見聞する事実である。世界の繊維産業の本場であるランカシャ(英国)に日本の自動織機が進出したと。しかしその後のことは一般的に寡聞である。結果は評価されず売れなかった。すなわち、ランカシャの紡績会社が自動織機を購入するにあたり、他社との比較試験を行ったが、結果は惨憺たるものであった。そして、その結果は英国の業界誌にも掲載されたのである。その原因も本書で可能な限り追求され、特許の「買い潰し」よりも、特許を得たプラット社の自動織機組立技術の低下および豊田自動織機製作所の設計図の体系的管理体制の不備(供与図面に百ヶ所以上の間違い)に求めている。
 さて、豊田喜一郎が自動織機製作から自動車製造へ軸足を転換したのは何故か。これも本書では喜一郎の足取りを細かく追っている。第一に先人である英国の繊維産業の盛衰を目の当たりにし、新しい分野に進出する必要があったこと、第二に競争相手の織機メーカーが自動車製造に取り組んでいったこと、第三に自動車需要の拡大と政府の国産自動車振興策や地域の中京デトロイト構想を打ち出したことなどがその理由であろう。もちろん自動織機の製造で培った、自動車を作る製造技術と研究開発するパワーがあったことはいうまでもない。
 このような経験と蓄積、そして他社との競争が「ものづくり」の裾野を広げ、技術力を高めていったのであろう。一人の人物の伝記でありながら、自動織機や自動車の製造に携わった人々の歴史でもある。是非一読を。そしてトヨタ産業技術記念館に行けば、より理解が深まる。
 因みに私が乗っている自動車はホンダである。

(2002.4.20/井沢 知旦)