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新・国富論〜グローバル経済の教科書〜/浜矩子著

文春新書/ 2012.12.20
  NHKの「100分で名著」という番組で、幸福についての特集をやっていた。人の幸福に大きく影響する経済の分野から、経済学者の浜矩子はアダム・スミスの「国富論」を紹介し、幸福とは「ひとの痛みがわかること」だと言っていた。「国富論」の時代には「ひとの痛み」が分かる経済活動が行われていたのかと興味が湧き、本書「新・国富論」を手に取ってみた。アダム・スミスの「国富論」は、フルタイトルが「諸国民の富の性質と原因についての研究」であり、国が金銀財宝をため込むことに躍起になっていた時代に、経済活動の中心にあるのは諸国民が汗水たらして働いた労働の価値ですよ、という労働価値説を説いた本である。
現代のワーキングプア問題に直結しそうな話であるが、「国富論」の時代には、労働価値説を基に「見えざる手」にゆだねれば、諸国民の富への追求が自然と国全体の経済発展へとつなげることができた。しかし、グローバル時代の到来とともにそれがおかしなことになってしまったようだ。
本書はヒト・カネ・モノがいとも簡単に国境を超える現代に、果たして国富とは何なのか。国境無き時代は何富論の時代であるべきなのかについて書かれた本である。

グローバル経済の問題の核心は、著者の言う「解体の誤謬」だ。「国富論」の時代は基本的に国民経済が自己完結的な経済体系であり、「経済活動に携わる個人が、外国の産業より国内の産業を支持するのは、ただ自身の安全を意図してのこと」であった。その暗黙の大前提がグローバル化により崩壊し、「企業による合理性の追求は、国々の集合体としての一つの地球経済の公益につながる行動であっても、それが個々の国々において公益増進につながるとは限らない。」簡単に言えば、「全体は天国、個別は地獄」というような状況が生まれてきた。この問題は根深い。

こうした問題に本書では「君富論」を提唱し、「自分の富さえ増えればいい」という考えから「君の富をどう増やすか」を考えなければならないと言っている。それには地域共同体の重要性を認識し、地域的な縦横のつながりでお互いを支え合いながら経済活動を行う、「見えざる手」から「差し伸べる手」の転換を説いている。

本書を読んで感じたことは、無茶苦茶なコストダウンや、無茶苦茶な受注者への要求は結果的に、国とその国民を不幸にするということだ。人は、グローバルに商売をしても、地域に根ざして生きるべきで、そこでは持ちつ持たれつの人間関係が暗黙の大前提としての「見えざる手」を形成し、結果的に「解体の誤謬」から「合成の勝利」へと導くのではないか、ということだ。

(2014.2.3/堀内 研自)