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発想法 創造性開発のために/川喜田二郎著

中公新書/1996.3

 この本はご存知の方も多いだろう。KJ法生みの親・川喜田二郎氏がその手法・思想・哲学を解説した本である。初版は1967年であり、実にもう40年も前に書かれている。KJ法は、今では住民参加ワークショップでの意見集約の際に、当たり前のように顔を出す言葉で、ワークショップ=KJ法といったイメージさえ定着している感もある。さらには、KJ法=意見分類の単なる手法のような、間違ったイメージさえ垣間見られる。本書によると、KJ法とは(少々乱暴なまとめだが)、あるテーマに関して、遠い近いに関わらずテーマにつながりそうな散在する様々な情報を、分類し、組み合わせ、統合化することで、その中から、全体に通ずる文脈を見つけ出し、それとともに、さらにその中から新しい意味を創り出していくという、「発想をうながす」手法であるということだ。単に意見を分類・まとめるのではなく、新たな発想が主眼なのだ。
 私自身も業務上、ワークショップの中でKJ法を実践してきた経験を持つが、手法的な部分に気をとられ、この本に記されている発想法を十分に実践できたかを問われれば、恥ずかしながら、NOである(理由は様々あるのだが・・・)。今更ながらではあるが、この本を読んでKJ法に込められた考えを改めて知った次第である。
 また、本書のむすびには、KJ法の真髄は「無の哲学」だとある。それは、「おのれの小さな我に固執」せず、「外からあらゆるものを受け入れてみようとする姿勢」を持ち、その中から「新しい意味を創りだし」、「人と人の心をつないでゆく」ことだそうだ。その意味では、KJ法は「国際的にも国内的にも、人間が、あるいは民族や国民が、はなればなれになってゆくような状況に対して、逆にそれを結合してゆく方法」ともなるとある。
 これはKJ法について書かれたことだが、翻って住民参加ワークショップのファシリテート全体にも通じることではなかろうかと思う。私にKJ法をはじめ、その他ファシリテート手法全般について教えてくれたかつての上司は、民族対立による紛争絶えないアフリカで、その融和に向けてファシリテートするのが夢だと語ってくれたことがある。そこには単なる手法論としてだけではなく、その下に込められた深い可能性を理解していた心があったのだろう・・・と、今振り返るとそう思う。
 
(2007.2.5/櫻井高志)