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第21回全国町並みゼミ東京大会


1998年9月18〜20日

 【概 要】

  • 伝統的な町並みの保存・活用や、歴史を活かしたまちづくりに取り組む、市民団体「全国町並み保存連盟」による「全国町並みゼミ」は1978年の有松・足助大会を皮切りに、今年で21回目となった。有松、今井町(奈良県)、妻籠宿(長野県)の住民で始まった活動が全国69団体にまで広まっている。

【内 容】

 東京大会は3日間開催された。

◆ 1日目(9月18日)

  • 有楽町マリオンにおいて、山田洋二監督の基調講演「寅さんの愛した町並み」:48本の寅さんシリーズを撮ることは、結果として町並み保存運動に貢献したという。80年代後半から地方自治体による「寅さん誘致」が積極的に行われ、行政の全面協力の下、撮影を行うことが多かったらしい。44作目の舞台となった日南の運河と橋は撮影をきっかけに取り壊しを取りやめた。

  • 「寅さんはだめな男だけれども、帰る町がある。葛飾柴又に帰るたび“かわらねぇ、つまらねぇ町だなあ。”という寅さんの台詞はお国自慢である。」とたくさんの町並みをとり続けてきた視点で変わってしまう日本のふるさとの危機を訴えた。

  • 参加者は200名ほど。

◆ 2日目(9月19日)

分科会 K/子どもも参加できる「まちの魅力発見ウォークマップづくり」

  • 分科会K子どもも参加できる「まちの魅力発見ウォークマップづくり」に参加。運営は世田谷に本拠地を置く「まちワーク研究会」 当日、小学校は午前中、授業がありやむなく子どもとは別行動、大人だけで本郷菊坂を歩くこととなった。

i まちあるき

 我がグループは、私の出したふるさとのキーワード「公団住宅とママチャリ」から、「ママチャリ」。蒲原町役場職員の男性、古い民家の改築を専門とする建築士の女性、15代続いた味噌屋のご主人(江戸時代に建てられた町屋に住んでいる)、そして私で回った。今はない水路沿いに作られた菊坂上道と、勝手口ばかり並ぶような菊坂下道の両方を歩いた。菊坂の特徴は…

@ 坂の多いまちで、坂の上の方は昔の大名屋敷であったため土地の区画が大きい。坂の下はいわゆる下町。区画が極端に小さく老朽家屋を取り壊した後は駐車場というお決まりの風景がここでも見られた。

A 東大が近いせいか出版に関わる町工場がとても多い。樋口一葉、宮沢賢治の住居跡もあり、文豪のまちとも言われている。

B 大きな公園はないが、路地のそこここに住民が植木鉢をところせましと並べている。手作り緑化はとても清々しい。

ii 地図づくり

 約2時間のまち歩きの後、地図上に歩いたルート、活かしたいもの、改善したいところなどを書き込んでいった。ワークショップ参加経験のある人が多く、テンポよく作業が進んだ。歩きながら撮った写真をすぐ現像して地図上にコラージュし、より見やすいものとした。各グループ毎に発表。別々に歩いても「坂道」「路地」「植木鉢」等のキーワードが共通し、このまちの特色の強さを感じた。

 地図は同じテーマであるいた子ども達の方が自由な視点で作成しており、おもしろいと思った。大人は優等性的な視点でしかつくれない。やはり一緒に歩くことが出来たら、作業は大変だが特色あるものが出来たのではないかと思う。

iii 菊坂の詩づくり

 菊坂を歩いた印象を、それぞれが4行詩で表しそれを合体させて20行詩とした。グループで声を合わせて発表をした。一つのまちを讃えるのに正解などなく、いろいろな視点からうたわれていてとても興味深かった。テンポの速いワークショップの中で最も全員が「参加できた」という感触を得たゲームであったと思う。 

   菊坂に一歩踏みいると…
ゆったりと時の流れる空間
道と道
坂と階段のまちからのメッセージ
ひんやりとした路地の空気
東京でありながらどこかふるさとを感じさせる
家と家
坂と路地の間から
町工場の機械のメロディ
そこは路地と階段のまちだった
人と人
UP−DOWNの迷い道
路地裏の草木のささやき
心と心を結ぶ路地
急ぎ足であるく自分
そんな不思議な時遊空間であった
ねこが大きなあくびをした
      これぞ 菊坂路地区(ロジック)

iv ミニ講演

学校教育の中で「地域参加のまちおこし授業」を提唱し、実践を重ねている愛知教育大学の寺本 潔氏のミニ講演。西尾市でのワークショップ等のスライドを用い、学校を軸にした町並み保存の有効性を紹介された。

(竹内)


分科会ワークショップG「民家・町並みの保存と再生」

主催 吉田桂二+生活文化同人+浅草おかみさん会

【会場】

浅草寺に近い、伝法院というお寺。普段は非公開となっている建物である。ここは、小堀遠州作と伝えられる庭を持っているが、その庭に面した巨大な和室で、分科会が行われた。

【出席者】

 今回のゼミ最大規模の分科会であり、120名の定員いっぱいという様子の盛況ぶりであった。出席者は、東京近辺を中心に全国から集まっており、役人、建築雑誌編集者、設計事務所勤務など、建築関係の仕事に携わる、中高年の男性が多かった。学生や、女性の参加もちらほらあった。しかしこれでも、昔に比べたら、だんだんと多様なメンバーになってきているのだという。

【進行】

 20名ずつくらいで6つのグループにわかれ、12時〜16時までの4時間の間、各地の町並み保存について話し合った。私は「第2グループ」にふりわけられた。「休日に自分がそこで過ごしたいと思うまちづくりをしたい」「従来のものを継承するのみではなく、新しいものをつくりだしてゆくことも重要。高山では、平成屋台をつくってます」「もう一度訪れたい観光地とは、『あの人にもう一度会いたい』と思う人がいるところ」などといった、興味深い発言がきかれた。印象的だったのは、古い町並みの観光地化に否定的な意見が多かったこと。あくまでも、住んでいる人の満足のために、という立場の人が多かったように思う。

 ワークショップの後に浅草界隈の自由散策があったのだが、この散策は、特に位置づけもなく「本当に自由」だったので、好きなところが歩き回れてよかったのだが、前段のワークショップの前に持ってきて、町歩きにもとづいた話し合いをするようにするとよかったのではないかと思った。

 町歩きの時間は、浅草の町をひたすら歩きまわった。色々なものがごちゃごちゃとしている浅草は、名古屋で言うと大須といったところ。仲見世通りはあまりにも有名だが、その他の通りも、「道具の通り」「洋服の通り」「映画の通り」などとそれぞれの道に特色がある。昔は、ちょっと鄙びたような店がほとんどだったのが、最近は「ベネトン」など、若者が入るこぎれいな店が増えてきたという。「ファンシー」な色づかいが特徴的な「花やしき遊園地」は、「何でここにこんなものが!?」と一瞬絶句してしまうが、結構にぎわっていた。

 浅草の中の「十和田」という料理屋で、3次会(懇親会)が行われた。

 ここでのお楽しみは、何と言っても「振袖さん」。振袖さんとは、京都の舞妓さんの浅草版といったところで、「(株)浅草振袖観光学院」の社員(?)達である。振袖さんの歴史は新しく、昨年、第4期生のオーディションが行われたという。従来の慣習を破り、定時労働制、週休制をとりいれたところ、非常な人気となり、全国から応募が殺到している。(第4期生の応募は38人。うち4人が合格)。さすがに、選りすぐりの彼女達だけあって、粒ぞろい。そればかりでなく、踊りもとても熱心に稽古しているらしく、身のこなし、色っぽい流し目、入門して1年とは思えない程であった。郵便配達人に恋文を託す「くるまやさん」、「かっぽれ」など、4人の振袖さんが3つの踊りを披露してくれた。「振袖さんの「定年」は何と25歳だそうです。

(伊藤)


3日目(9月20日)

  • 東京都庁大会議室にて、前日の分科会の総括、報告が行われた。会場にはそれぞれの分科会で使われた、ポストイットだらけの模造紙がぐるりと張り巡らされ、ワークショップ形式の普及を感じた。参加者はぐっと減って100名ほど。

【雑 感】

  • 中区の特色あるまちづくりでマップづくりをするため、フィールドワークの前に勉強になると思い、参加した。中区の対象地域と比べ、菊坂はこぢんまりとしていて、奥が深い。当日のスタッフの中には有志で菊坂のマップを発行している人もあり、まさに彼女は菊坂にはまっているようだった。地図づくりというものはやりだせばきりがなく、一枚の地図にも使用目的の数だけ、作り方があると感じた。

  • 地域での自分の活動内容を印刷物に表し、会場で配る人もいて、町並み保存ゼミはそれぞれの活動を年に一回、分かち合う大事な場になっているようだ。また大会開催中本部にもなった、宿泊所鳳明館は古い旅館でとても味のある建物だった。全国から集まってくる会員のために、用意された「大会参加のお楽しみ」となり、素晴らしい演出だと感じた。

  • 多種多彩な立場からの参加により、分科会終了後の打ち上げではコンサルと、市町村職員、デザイナー、住民がそれぞれの苦労話をぶつけ合うという一幕もあり楽しかった。

(竹内、伊藤)