秋の連休を利用して和歌山県を訪れた。その道中で昔ながらの製法で作られた醤油蔵が、熊野古道が通る湯浅町というところにあることを知って訪れた。訪れるまでは、湯浅町が伝統的建造物群保存地区に指定(平成18年)されていたことも全く知らずリサーチ不足であったが、江戸期や大正期の町家が存在し、時代の移り変わりを今に伝える町であったので紹介したい。
地区内は東西約400m、南北約280m、面積約6.3haの範囲で、町家や土蔵が並ぶほか洋風建物も存在する。主屋は切妻造平入で、1階は格子戸、2階は虫籠窓が開けられている。伝統的な町家や土蔵は白壁が多い印象だが、大正期の建物になると総2階、黒壁で造られたものがある。また、醤油蔵が集まる北町には「大仙堀」が残り、かつてここから醤油樽を船積みして海路で出荷したそうである。
湯浅町は町を形成した背景となる文化にも特徴がある。この地で醤油の作り方が中国より伝わったのが13世紀の初めと言われ、安土桃山時代になってこの地から醤油が商品として出荷され、江戸時代に紀州藩の保護を受けて全国に販路を広げた。この地の醤油醸造の製造技術が千葉県銚子や香川県小豆島などに伝わったと言われている。なお、江戸時代の商人である紀伊国屋文左衛門がこの地の出身である。
伝建地区への登録は平成18年と比較的新しいが、後から調べると、2005年度関西まちづくり賞(主催:社団法人都市計画学会関西支部)や2006年度全国都市再生モデル調査の選定などの実績もあり、商工会や商店街、湯浅町まちづくり委員会(町役場が住民公募をして組織)、熊野古道研究会などの住民団体などの動きが活発なようである。醤油蔵のある通りでは、訪れた人が腰掛けられる椅子などが設置されたり、蒸籠(せいろ)箱を活用して家財道具を軒先に陳列した「せいろミュージアム」など、住民の手作りによるまちづくりの取り組みもそこかしこに垣間見える。関西南部にお出かけの際には、ぜひ訪れていただきたい町である。
|