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醸華町西条(東広島市)の観光まちづくり
 先般、広島大学の友人から呼ばれて、「新生・東広島市の観光・まちづくりを考える」の公開シンポジウムに参加した。話の契機は、弊社が年賀状代わりに出しているラバダブに半田市の都市再生(醸造の街)に関する記事を読んで、西条駅近くにある酒蔵通りの観光・まちづくりに大いに参考になるのではと声を掛けられた次第。

 現場に行ってみると8社の酒造場がある。そのうち6社(白牡丹、賀茂鶴、福美人、賀茂泉、亀齢、西條鶴)がまとまってあり、漆喰の蔵と煉瓦の煙突で構成される山陽道沿いの町並みはすばらしい(写真参照)。商店街が形成されているが、なかには町並みにそぐわない建物も多いが、この6社の酒造場だけでも貴重な地域資源である。町並みをどう繋ぐか、人々を飽きさせずどう回遊させるか、トータルとして如何に人々を集客するのか(広島から山陽本線で35分)が課題になっている。

 西條の酒は山陽道宿場町西條で清酒が380年前から醸造されていたが、大規模化したのは明治以降である。江戸時代に新たな酒造業者の参入を制限していた酒造株の廃止と鉄道(陸の港)の開通の影響が大きい。酒所として大きくなるには、良質な水・米と輸送手段である。江戸時代は海運中心のため港近くに集積したが、水と米のいい場所では内陸でも可能となったのである。もう一つ、吟醸酒の発祥の地が東広島であるといわれている。精米歩合60%以下を吟醸、50%以下を大吟醸と呼ぶ。ちなみに食用の米は90%程度である。この物語だけでも、話は尽きない。
 さて本題である。パネリストの一人に賀茂鶴酒造の石井会長とお話する機会があった。賀茂鶴は半田や多治見、名古屋との関わりが深いとのこと。何故半田へ?それは清酒を絞った酒粕をミツカンに納入し、その集金に行ったからだそうだ。ミツカンは酒粕から酢(粕酢)を作って、江戸に大量に出荷され、今日の「握りずし」が誕生した(当時の握りずしは今日の2倍程度の大きさであり、それを食べやすく半分で出したので、今日握りずしを頼むと2個出てくる)。何故多治見へ?盃(さかずき)といえば多治見ということで、利き酒する盃は特にそうで、多治見に出向いたようである。多治見市之倉地区は盃生産で有名で、そこには「市之倉さかずき美術館」がある。酒を陶器に入れて販売することもあるようだ。広島は九州と東海の狭間にあって、唐津や有田、美濃や瀬戸から売りに来るそうだ。しかし、20〜30万円するような高級酒は有田焼を使用する。容器にも付加価値を付けるためである。何故名古屋へ?集金の帰りに名古屋の料亭で宴会。名古屋の料亭の大きさに驚いていたようだ。

 このように、一つの産地でいろんなネットワークが張り巡らされる。そのほうが広がりのある夢が描ける。行き来して観光まちづくりの知恵の交流をしたいものである。が、今回は名古屋のものづくり観光のPRを一方的にしてきたような気がする。


酒蔵の風景1(賀茂鶴と西條鶴)


酒蔵の風景2(亀齢)


酒蔵に挟まれた小路(賀茂鶴)


変哲もない商店街


  (2006.3.6/井澤知旦)