岐阜市川原町は織田信長の居館があった金華山の麓に位置し、古くから清流長良川を利用した海運が発達し江戸時代には尾張藩による長良川役所が置かれ、市の観光を代表する「長良川鵜飼」乗船場がある。川原町は、その町名が存在する訳ではなく、湊町、玉井町及び元浜町の総称である。
川原町は、長良川を利用して上流より和紙や木材などが流通し、町では紙問屋や材木問屋といった町家群が形成された。現在は江戸時代及び明治時代に建造された町家群がよく残されており、連続し調和した町並みを形成している。しかし川原町は商業地として発展してきた町であるにも拘らず、現在は商家としての機能より専用住宅としている住民の多い町である。
建造時当初の外観の残る町家が比較的数多く残されている川原町で、町家保存を主眼としたまちづくり運動は苦難であった。川原町には先祖代々居住する住民が多く、その多くの住民が町並み保存を進めると観光客が増えて観光化が進み、住みづらくなると感じた為であった。それでも地元有志の努力で、平成12年岐阜県の進める「長良川プロムナード計画」に地元住民が参加、平成13年には川原町準備委員会が発足した。この後、平成13年7月に「川原町まちづくり会」が設立され、「住みやすく魅力あるまちづくり」を目指すこととなった。以降まちづくり会は、町並みに調和する門灯や旧型の赤いポストを設置し、外来者説明用の案内看板を設置した。また、旧町家を利用した喫茶店や飲食店等が新たに開店したことにより、町を訪れる一般市民や観光客が増えてきたため、案内用の地図を作成し、町内各所で無料配布している。
川原町まちづくり会の活動が進む中、周辺では新築マンションの高さや景観に対する問題が勃興し、行政側でも市民を巻き込んでこの問題に取組むことになった。法的な規制をかけるのではなく住民相互が「まちづくり協定」を制定し、町並みを守っていくことを申し合せる事になった。その後地区住民の同意をいただき、平成16年4月に「川原町まちづくり協定」が制定された。
まちづくり協定では、伝統的な町並み景観を活かしたまちづくり、安全で暮らしやすい住環境づくり等といった方針を示し、協定細則で建物高さ、外観(屋根及び壁)、景観(建物の連続性)及びデザインといった細目に分けて規定している。まちづくり協定を制定する一方で、住民意識調査により地区住民の特性がわかってきた。住民の意識は、川原町の資源として歴史的な町並みや景観と金華山や長良川の自然を揚げ、将来像としては落着いた歴史を重視し住宅を中心とした静かな町を望んでいる。また現在の問題点として、建物の老朽化、空き家の増加と人口減少を揚げている。この様な意識を踏まえ、まちづくり会は町並み景観保全の為電線地中化や、通過交通と不法駐車等の取締り強化を含めた交通問題を検討し、電線地中化は実現された。
町家は必ずしも現代の生活様式に適合しない訳ではなく、創意と工夫をすれば充分住まうことは出来る(岐阜県古川町や岩村町では町家に住み始める人々が増えている)。町並み保存と住み易い住環境整備は両立できると確信しているので、今後はまちづくり会が相談と指導できる体制が必要となる。また現在修繕等の費用は全て住民負担となっており、高齢者の多い地区住民にとっては重要な問題である。国の補助制度やまちづくり基金助成等を、行政である岐阜市と協議・勉強し、出来るだけ少ない負担で町並み保存を継続できるようにしていくことが、まちづくり会に求められている。 |