バリアフリーとは、「バリア(障壁)とフリー(開放する)」を組み合わせた言葉で、もともとは建築等の物理的障壁をなくすることを意味していました。しかし、バリアフリーの言葉と概念が浸透するにつれ、物理的なバリアというハードの面から、制度・意識・情報のバリアといったソフト面に広く波及していきました。1995年の障害者白書には、バリアフリーについて、@物理的バリア、A制度的バリア、B意識のバリア、C情報のバリアを揚げています。一方、ユニバーサルデザインとは、年齢・性別・国籍(言語)・能力(障害)などに関係なく、すべての人が利用可能で有用な製品・建物・空間・環境などをデザインすることをいい、バリアフリーが障害と切り離せないのに対して、ユニバーサルデザインは障害に言及しないところに違いがあります。厳密にいうとバリアフリーとユニバーサルデザインは異なる考え方ですが、この随筆の中ではバリアフリーという言葉に統一します。
欧米では情報公開と市民の権利が長年の歴史の中で確立されていますから、障害者等(以降「ハンディキャップ者」という。)が街なかに出かけることは当たり前の行為ですけど、日本では明治時代以降障害者等に対して隔離政策がとられた為、ハンディキャップ者が街なかに出かけることは稀でした。筆者が大学生の頃(昭和50年前半)、地下鉄やバスに乗るハンディキャップ者を見たことはなく、研究実験で車椅子に乗って歩道を走行した時は、段差や不陸が多く歩道も狭く車椅子に乗っている人には不都合な外部環境であったような気がします。当然社会環境もハンディキャップ者に対する配慮が欠けており、公共交通等の現場でトラブルに何度も遭遇しました。しかし、平成19年から「高齢者、障害者等の移動等の円滑化の促進に関する法律」いわゆる「バリアフリー新法」が施行されてから、格段にハンディキャップ者を見かけることが多くなり、少しずつ改善されている気はします。この法律の要点は、@公共交通事業等、道路管理者、路外駐車場管理者、公園管理者等の基準適合義務、A特定建築物等の基準適合義務にあります。大雑把にいえば、公共空間と大規模建築物にハンディキャップ者が、安全で気楽に出かけられるようにすることといえます。
高速道路のサービスエリアは、混雑時に身障者用トイレ(名称が気に入らないのですが、こう呼んでいます。)を健常者が使うという不適切な例は聞くものの、わかり易い看板と、駐車場や便所など施設の広さと幅が確保され、適量の身障者用便所があり、参考になることが多いです。また名古屋市は大都市で道路や歩道も広く駐車場や公園も比較的整備されているので、バリアフリーに対して対応が早くから行われており、ハンディキャップ者にとって住みやすい都市であると聞いております。一方中小都市は、地域独特の整備をしているところもあり、大都市と比較することなく知恵と知識の使いどころです。一例を揚げれば、富山市のライトレール、高山市の道路改修、公共トイレの整備など(誰にもやさしいまちづくり)などがあります。
都市計画の中で、バリアフリーに関して対応するときに考慮する重要な点(ハンディキャップ者に配慮することともいえる。)は、筆者の考えるところ、
1.移動できること・・・・・通行幅があり、段差・不陸がなく、上下移動が可能なこと
2.看板が見易いこと・・・・視認し易い色で、文字の大きさや看板高さが適当
3.公共用便所があること・・わかり易い案内看板と適当な数の便器があり、広さと幅が確保
に絞られると考えます。公共交通や道路など基盤施設と中規模以上の建築物(特に公共建築物)は、整備すればよいという時代から、多くの市民が利用でき快適に過せる時代に入ったといえます。
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