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コミュニケーション力とストーリー展開の楽しい会話

 正月に「さんまの東大方程式」(再放送)というテレビ番組あった。東大は日本で最高学府と呼ばれているので、頭脳がキレる学生やユニークな学生がコメントを繰り広げていた。そのなかで、ある学生がブルーライトカットの眼鏡を買った話を友人にすると、その答えが「親が白内障なの?」と言われ、その通りであるがゆえに、会話に疲れると言っていた。つまり、話の展開の先が読み取れるので、途中を端折って結論のみを言ってしまうのである。なぜその眼鏡を買ったのかを説明しながら、また、あれこれ脱線もしながら楽しい会話を期待していたのに、結論のみ先走って話をしても、会話は弾まない。まさに他人が聞けば「風がきつかったね」と言われ、「桶屋が儲かるね」の会話「風が吹けば桶屋が儲かる」そのものである。そのプロセスである「土ぼこりが目に入る」→「盲人が増加する」→「三味線で生活をたてる人が増える」→「三味線の胴に使われるネコの皮の需要が増える」→「ネコが減る」→「ネズミが増える」→「ネズミが桶をかじる」→「桶が買われる」が省かれると会話は弾まないし、いきなり言われてもチンプンカンプンである。そもそも現代においては「三味線で生活をたてる」と言われてもピンとこないのだが。桶屋もピンとこない。
 わたしの友人で、部下のやる気を最も失わせる上司と言われた人物がいる。彼に聞くと、彼の上司の指示は完璧に理解できるが、同席している彼の部下はその指示をあまり理解できていないことが度々あったようだ。彼の頭の回転が速いことは言うまでもないが、持っている情報量の差が理解度の差になっていることも多分に影響しているはずだ。よって、部下に指示を出す際に結論だけで指示すると、情報量不足で結論までのプロセスも不明のため、部下は動きようがない。結果を出せないので叱責され、また指示を出されるが、それを繰り返すうち、やる気を失くすのである。そうなるとパブロフの犬の条件反射ではないが、「彼の仕事=叱責=やる気失う」というイメージが固定化されるのであろう。
 同量の情報量と同質の頭脳回転力を持った仲間内では、上記の対応でよいし、その会話は小気味良いものになっているのだろう。しかし、多種多様な階層や民族と一緒にビジネスを進めたり、コミュニティを形成したりしていくとなると、丁寧なコミュニケーションなしにはことは進まない。逆に後退するかもしれない。
 今、「風が吹けば桶屋が儲かる」はどういうストーリーになるのだろうか?「風が吹く」→「舗装された道路上の花粉が舞い上がる」→「花粉症の患者が病院に駆け込む」→「薬が処方される」→@またはA
そのあとのストーリー@はあくまでも桶屋にこだわり→「しかし目が痒くてイライラする」→「家に帰るとその日の晩飯は寿司だった」→「家に帰ってもイライラは解消せず夫婦ケンカが頻発する」→「手元にあった寿司桶をつい投げて壊す」→「桶屋が儲かる」
 もう一つのストーリーAは→「自己防御としても高級マスクと花粉対応用ゴーグルを購入する」→「マツモトキヨシ(独自にマスクを販売)や通販会社が儲かる」→「商品を提供する会社が儲かる(紡織会社・眼鏡製造会社・製薬会社など)」となるので、現代版桶屋はマツモトキヨシにしておこう。
  「風が吹けばマツモトキヨシが儲かる」

写真は本文と関係ありません。
2枚の写真は「血の上の救世主教会」(サンクトペテルブルク)の外観と内部。教会は心の中で神と自分自身とのコミュニケーションを行う場として荘厳な雰囲気を醸し出している。


「血の上の救世主教会」(サンクトペテルブルク)の外観


「血の上の救世主教会」(サンクトペテルブルク)の内観
(2018.1.15/井澤知旦)