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昭和塾堂をめぐる動向

 名古屋市千種区城山町に昭和塾堂という建物がある。4階建の塔と中心とする建物で地域のランドマークともなっている。以前から気になっていた建物であるが、そう思う人も多いようでネットでも様々な情報が発信されていた。過去には一般公開なども実施されたようであるが、その後、一般公開はされておらず、所有者は解体の意向というような記事もあり、その動向を注目していたところ、4月28日に「存続の岐路にある昭和塾堂の保存と活用について話し合おう!」というワーキングが開催されると知り参加した。
 昭和3年に愛知県が城山八幡宮の境内を借り受け、青年向けの社会教育施設として建設。設計は黒川己喜(建築家の黒川紀章の父)。人づくりを目的としたこの施設は、上から見ても横から見ても「人」という文字に見えるのが特徴と言われる。昭和42年に愛知県より城山八幡宮に払い下げされ、千種区役所の仮庁舎や愛知学院大学歯学研究棟として活用されてきた。
 久しぶりの公開ということで多くの参加があり、魅力的な建物を見学した後、それぞれの意見を付箋紙に書いて紹介しあった。所有者の宮司さんから「1年半までは解体するしかないと思っていたが、文化庁が文化財の活用に力をいれるようになり、文化財として保存活用したい」旨の発言もあった。ワーキングの主催は「ちくさ・文化の里づくりの会」。多くの会員が昭和塾堂の保存活用を望み活動している。
  現在の天井の高い広々とした空間の価値を活かしたままで維持管理・運営費を捻出する活用ができるかが大きな課題だ。建築後90年が経過した鉄筋コンクリート造であり構造上の課題もある。保存活用していくための改修にはかなりの費用がかかりそうだが、昭和塾堂に対する関心は高い。より多くの人にこの建物の魅力を知ってもらうのがまずは必要なことかと思い、メルマガで紹介させてもらうことにした。定期的な見学会開催を期待したい。


正面(南西面)

裏面(東面)

講堂

食堂

塔屋4階

塔屋4階装飾

塔屋へのらせん階段
(2018.5.7/石田富男)