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郊外のまち 八事・南山/中部経済同友会

  先日、中部経済同友会 文化の街づくり委員会の主催するまち歩きの企画をさせていただき、八事・南山周辺を訪れた。あまり八事・南山について知らなかったが、今回を通じて魅力を再認識した。また、中部経済同友会は、中部地方の経済人が、経済の復興と経済人の養成を目的に様々な活動している。
 今回のまち歩きは、昭和区でガイドボランティアの活動している「昭和区案内人クラブ」に依頼し、ガイドしていただいた。八事・南山周辺は、興正寺の五重塔(国重要文化財)や八勝館、南山学園ライネルス館、昭和美術館などが知られている。今回は、それ以外の八事・南山周辺の魅力を紹介したいと思う。
 まず、八事の名前の由来であるが、八事の「八」は、岩をあらわし、「事」は、ごつごつ→ごとごと→ごとで、八事になったと言われている。昔、八事村は広大な範囲を占め、そこに於ける穀物の石高が多かった事から石坂の地名も残っている。興正寺は、境内を東山と西山にわけることでき、東山は、学問・修行の場として、西山は、また人々の信仰の拠り所として発展している。昔は、名古屋で山と言えば、興正寺のある八事山のことを指しており、人気の観光地であったとされている。また、興正寺には、名古屋出身の偉人の石碑などが残されており、太田三次郎(シーメンス事件)、大島君川(中部日本書道連盟 会長)、豊竹ロ昇(義太夫)などの石碑や記念碑が残されている。また、境内に様々な偉人の石碑などがあるのは非常に珍しいとのことである。
 また、興正寺の西側には、「センバツ・伝統の一戦の発祥地」である「山本球場」があった。山本球場は、大正11年(1922)に名古屋で最初の本格的球場として完成しており、収容人数は2000人であった。その2年後、現在の選抜高校野球(第1回全国選抜中等学校野球大会)が開催されたが、その翌年からは、甲子園球場で開催されている。場所が変更になった理由の1つとされているのは、当時、高校野球は西日本勢が強く、東日本の高校から移動が少ない甲子園球場での開催を嫌がったとされており、中間の地である名古屋 山本球場で開催されたようである。しかし、優勝が高松商業であったため、翌年から甲子園で開催されたと言われている。球場の記念碑には、第1回から現在までの優勝校が記されている。さらには、昭和11年に伝統の一戦と言われる巨人対阪神の第1戦が開催されている。写真にある記念碑の場所にホームベースがあったようである。現在は、取り壊されてマンションが建設されている。
  私自身、昭和区に住んでいるが、はじめて知ることが多くあった。住んでいるまちの歴史などを調べる機会はないので、今回のまち歩きは非常に良い機会であった。また、住んでいる場所や出身地の歴史など、人に伝えることができることの重要性を感じた。いつかは自分もまちを案内したいものである。

五重塔
五重塔
普門園
普門園
太田三次郎 石碑
太田三次郎 石碑
センバツ発祥の地 記念碑
センバツ発祥の地 記念碑
(2012.2.13/朝倉卓也)

昭和区案内人クラブ 問合せ先(昭和区役所)
http://www.city.nagoya.jp/showa/category/107-2-2-0-0-0-0-0-0-0.html