特集  都心ナゴヤに負けない地域の力

東海地方における歴史的町並みを生かしたまちづくり
〜住民の力がまちを動かす〜
( 犬山城下町 |  郡上八幡 |  美濃市美濃町 |  伊勢河崎 )

浅野 健  伊藤 彩子
 

 犬山城下町
みんなが楽しめる町をめざして〜人が主役のまちづくり〜

浅野 健

犬山のまちづくりにはじめて関わったのはちょうど2000年だった。人の顔が見えるまちづくりにはまり、しばらくは月に1回犬山に顔を出していた。最近は数ヶ月に1回程度しか訪れていないが、行くたびに城下町が少しずつ変化していることに気づく。全国の多くの中小都市の中心市街地が苦戦している中、ここでは少しずつだが空き店舗だったところに店が開き始めているのである。都市再生本部が進める全国都市再生モデル調査の「先導的な都市再生活動」171件の1つにも選定され、犬山城下町の動きが今後ますます注目されるところである。

歴史のまちのみちづくり

犬山城下町でまちづくりのことが考えられるようになったきっかけは、1971年に都市計画決定された城下町の本町通線と新町線の16mへの拡幅をめぐって住民が反対し議論が展開されたことにあろう。その後、紆余曲折を経て、2001年に市は「道路を拡幅せず、現道で整備する方向」で進めることを結論付けた。地域住民と行政が様々な角度で取り組んできた結果、歴史的な町並みが残る本町通線、新町線は現道の幅員で、電線地中化、歩行者空間の確保など、町並み景観誘導を目指した整備をすることで概ね決まり、各方面と協議が行われている。
  今後は伝統的建造物群保存地区指定(以下、伝建地区指定)を視野に入れて検討が進められるが、本町通線周辺では伝建地区指定をする方向で調整が進み、新町通線周辺では住民が自主的に勉強会を立ち上げて伝建地区指定以外の手法も含めて検討している。どちらも伝建地区指定をするか否かの判断は、地域の住民に委ねられている。

中心市街地の活性化〜まちなかのTMO始動〜

まちづくりワークショップ
まちづくりワークショップ
 
TMO市民フォーラム
TMO市民フォーラム
犬山市は、2001年3月に中心市街地活性化計画「城下町新生計画」を策定した。この計画ではまちのビジョンを、1998年度に市民と行政が一緒に取り組んだまちづくりワークショップでの議論内容を引き継いで「歩いて暮らせるまち・歩いて巡るまち」とした。具体的には、城下町を中心とする94.7haのエリアを位置づけ、「車を気にせず、安心して楽しみながら歩くことができるように」など4つの活性化の目標を掲げ、市街地の整備改善に関する事業(歴史のみちの整備、市道の修景整備、まちづくり拠点施設整備など)、商業等の活性化に関する事業(犬山駅西再整備事業、空き店舗・空き家活用事業、城下町レンタサイクル事業)を掲げている。
  その後、2001年度にはTMO構想を策定し、2002年度には設立準備会を組織して具体的な検討を重ねてきた結果、2003年9月にTMO組織として犬山まちづくり株式会社が創立した。資本金は3千万円で市が50%出資、残りを犬山商工会議所、地元企業、金融機関、発展会などの団体、一般個人が出資した。社長に就任した高橋隆治さんは、「三セクだが行政頼りでなく、出資者、スタッフ、市民サポーターのみんなが主役の会社として経営する」と意欲を見せている。
  これまでみてきたように、中心市街地活性化計画の策定段階からTMOの設立準備まで、ワークショップや市民フォーラムなど、一貫して市民参加により検討を重ねてきており、そこに関わった市民がTMOの運営にも関わっている。

まちの拠点施設も市民参加で整備

余遊邸
余遊邸
 
どんでん館
どんでん館
まちの拠点施設や道路美装化などのハード整備については、1996年度大臣承認を得た「街なみ環境整備事業」を活用している。この事業により当初は、まちづくり団体への助成(1996〜8年度)と建物修景への助成を主に行い、市民活動を醸成してきた。一九九九年度からはハード整備を順次進めている。特筆すべきは、まちづくりの拠点となる三施設「どんでん館」「しみんてい」「余遊邸」を市民参加により順次整備してきている点である。整備後の運営を市民に委ね、市民団体に愛着を持って活用されている。この他、道路美装化、ポケットパークなども市民参加で順次進めてきている。

モチベーションが持続する秘訣は

行政計画への反対から始まった市民活動は、「行政任せでなく自分たちでまちを良くする」というように変化してきている。行政側でも、お付き合いのある方と話をすると一人ひとりがまちを真剣に考えていると思う。犬山城下町に足を運ぶ度に、モチベーションが続く秘訣は、我がまちを愛していることと、「思ったらとにかくやってみよう」「言い出しっぺがリーダーになってやろう」と気軽に取り組んでいることにあると感じる。
  なお、犬山には国宝茶室如庵や木曽川、明治村など資源が豊富であり、これらとの連携も今後期待されるところである。でもまずはできるところ=城下町をしっかりと活性化させ、次の連携につなげることでいいのであろう。みんなが楽しめるまちを目指して、今後も息の長い取り組みが続けられる。
 
大薮豊数さん
大薮豊数さん
犬山まちづくり株式会社「弐番屋」ゼネラルマネージャー

 犬山まちづくり株式会社「弐番屋」の事務局は、城下町の本町通りで菓子や和紙などを販売している「なつかしや」の2階に事務所を構えている。ここで実際の運営の責任者であるのが大薮豊数さんである。自身は自動車教習所を経営しているが、社長の高橋隆治さんに誘われ、「自分は犬山という環境、人、時に育てられたのでその恩返しがしたい」という想いからゼネラルマネージャーを引き受けた。
 「弐番屋」という名称は、「お客様が一番、自分たちは二番、まちのみんなが儲かり、町の人たちに気軽に呼ばれるように」という大薮さんの想いがあり、2003年9月の創立後に名づけられた。現在、6人の若いマネージャーとともに、町を元気づける取り組みを行っている。今後の「弐番屋」の取り組みに注目!

 郡上八幡
住民が運営する建物審査会

伊藤 彩子

町並みに合わせて建物を建築
町並みに合わせて建物を建築
 
住民が管理するポケットパーク(職人町)
住民が管理するポケットパーク(職人町)
 
柳町の町並み
柳町の町並み
郡上八幡では、水とともにある町並みが、住民と行政の協力により守られている。1980年代後半から90年代にかけて、行政からの働きかけにより、大正時代の町並みが残る吉田川の北の3地区で町並み保存会が結成された。その後の息の長い活動の成果として、現在では町並みを大切にしようと言う思いが住民共通のものとなっている。柳町の全戸が加入する柳町町並み保存委員会では、水路やポケットパークの清掃、町内で新築・増改築する建物の審査などを行っている。保存会の中に設けられた建物審査会では、大工さんや設計事務所から図面をもらい、町内で定めた建築基準に合っているかどうかを審査する。法的規制はないが、審査委員長の了承印がないと、町では確認申請を受けつけないことになっている。大工さんや設計事務所もよく理解してくれていて、だいたい基準に沿った図面ができてくるそうだ。
 最近では、町並みづくりの活動が3地区以外にも広がってきている。1998年、公募により町民が参加するまちづくり協議会が発足し、町のリードによってワークショップなどを開催してきた。具体的な事業を進めていくため、吉田川両岸の九町で街なみ環境整備事業を実施し、建物高さや色彩などについて街なみのルールをつくった。
 郡上八幡は、役所の方も住民の皆さんも本当に自分の町を愛していて、一人一人が一生懸命という印象を受ける。そういう気持ちを持つということが、美しい町並みづくりに最も大切なことである。

 美濃市美濃町
視察会を重ねて地域の気運を盛り上げる

伊藤 彩子

美濃町の町並みはうだつが特徴
美濃町の町並みはうだつが特徴
 
今井家住宅
今井家住宅
 
「愛する会」の会員による今井家住宅の受付
「愛する会」の会員による今井家住宅の受付
美濃市の町並みと言えば、2003年に第10回を迎えた「あかりアート展」が有名である。1999年に重要伝統的建造物群保存地区(以下伝建地区)に選定された町並みが、公募で集められた数々の灯によって浮かび上がる。伝建地区の選定を受けてから、町並みの修復はハイピッチで進み、地区内に飲食店も増えて活気が生まれてきたが、ここまで来るには住民の地道な活動が積み重ねられてきた。
 町並みが失われていくことを危惧する住民が集まり、現在の「美濃の町並みを愛する会」の前身である「町並みを考える会」が発足したのは1988年。その後、毎年先進地の日帰り視察研修を重ねてきた。
 これまで訪ねたのは、高山、古川、妻籠、奈良井、今井町、関町、有松、近江八幡、鳥居本など。鈴木会長によると、他の地区の頑張りを見ることは、住民にとって非常によい刺激となるそうで、「あそこよりもうちの町並みの方がいい」などと言いながら帰ってくる人もいるそうだ。最近はバス2台で80人程が参加する。この視察研修をはじめとした地道な活動によって住民の町並み保存の気運が盛り上がり、市が動きだし、伝建地区選定へとつながった。「全国町並みゼミ」にも積極的に参加しており、2005年には美濃市で開催される予定のため、準備に忙しい。
 「愛する会」では美濃市の魅力を多くの人に知ってもらうため、市が運営する「旧今井家住宅・美濃史料館」を無休体制にしようと、「休館日」の火曜日には2名がボランティアで窓口に入り、受付を行っている。将来は、施設の管理全般を受託したいと考えているそうだ。
 会の発足以来伝建地区選定を目標にしてきたため、今は一段落ついた状態で、一歩進んだ活動を模索中ということである。

 伊勢河崎
NPOが施設の運営を受託

伊藤 彩子

伊勢河崎商人館
伊勢河崎商人館
伊勢河崎と言えば、「伊勢河崎まちづくり衆」の活躍がめざましい。もともと勢田川沿岸の問屋町として発達したため蔵が多く、勢田川改修によって蔵の並ぶ風景は片側だけになってしまったが、改修問題がきっかけとなって1979年に住民組織が結成され、それ以来蔵を活用したまちづくりを進めている。1999年には既存のまちづくり団体が合流し、「NPO法人伊勢河崎まちづくり衆」が発足した。
 2002年には拠点施設である「伊勢河崎商人館」がオープンした。江戸時代から続く酒問屋の建物の寄贈を受けた伊勢市が敷地を買収して修理し、「まちづくり衆」が運営を受託し、史料館、貸店舗、イベントホールなどとして利用している。また、「まちづくり衆」は伊勢市から委託を受けて「河崎 川の駅」の立案・設計を行い、100年以上前の醤油蔵を利用した駅が2003年7月にオープンした。川の駅とは、勢田川沿岸に整備されているウォーターフロントである。その他周辺には、飲食店、美容室などに生まれ変わった蔵もある。
 息の長い住民の活動が実を結んでいる好例と言えよう。


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