JR岐阜駅前繊維街は、終戦直後、中国よりの引揚者が生活のため戸板1枚で繊維市場を開設したことが契機となり、織物の産地を背景に、アパレル企業(製造・卸メーカー)に発展し、立地の良さを活かし全国に類をみない1大駅前問屋街となった。全国各地の問屋や小売店等のバイヤーが店頭に商品を買付に来る「前売り」形態の商法で、70年代半ばまで人・物で通りを埋め尽くすほどの活気を呈した。しかし、近年は、経済情勢の変化、特に流通機構の大きな変革や顧客ニーズの多様化により、旧態依然の単一機能で老朽化した街、景観等のイメージの悪さ、商品デザイン力の弱さなどの要因が相まって、店舗数も激減し、当時の面影を感じさせないまでに活気を失っている。
JR線高架事業の進捗に対応して、アパレル産業の再生と本市の玄関口整備をめざし、10年ほど前から駅前再開発の話が持ち上がり、町内別に再開発研究会が設立され、検討が重ねられてきた。研究会活動が長年にわたり続けられたが、情勢の変化を踏まえ、平成10年度に、全体開発から段階的開発へ方針を転換。木造建物が密集する整備緊急度の高い駅前に面する問屋町西部南街区(約1.1ha)の再開発を先行し、早期にアパレル産業が結集できる21世紀型マート施設の整備を図るため、平成12年3月に再開発準備会を設立。さらに、昨年6月、再開発準備組合に改組、事業推進力の強化のため大手建設会社2社を事業推進協力者として選定し、また、組織強化のための役員の改選・拡充も図られた。
現在、行政や事業推進協力者の支援を得て、平成16年度内での都市計画決定をめざして、事業計画案の策定が精力的に進められている。検討中の素案は、研究会活動当時の構想案に比べれば、都市型住宅整備のウエイトが高くなり、アパレル施設の規模は小さなものとなっているが、都市型産業の再構築が重要なテーマであることに変わりはない。
空き店舗の増大により駅前に散漫的に広がるアパレル産業を再開発ビル内に集約することにより、アパレル産業の構造変革を促し、新しいファッション産業を構築するとともに、都市構造の再編を図ろうとする大きな試みが成功するか否かは、施設整備というハード面ばかりでなく、業界あげての再編への取り組みや行政による産業施策面でのバックアップが不可欠となる。しかし、アパレル産業が著しく衰退している状況下にあり、さらに経済情勢の好転が見えない中で産業の将来性について自信を喪失している(アパレル産業に限ったことではない)多くの中小経営者のマインドが再開発の成否に最も大きく左右する。
戦後の不安の中で先駆者達が生活の糧を見出すため必死に産業を構築してきたエネルギッシュな活動を思い起こし、厳しい経済環境を言い訳にせず、前向きに途を切り開いていこうとする意欲が、今、強く求められている。
なれたのも嬉しい。今回の結果をもとに、津島らしさを生かしたこれからの町並みのあり方について考えていきたいと思う。
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