特集 産地とネットコミュニティ 「成熟時代のモノづくり」を探る

インターネットが発達し、電子社会を迎え、電縁という言葉が登場してきた。成熟時代をどう生き抜くか、電縁をどう活かしていくか。産業がもう一度元気になれば「まち」も元気になるだろう、まちづくりにも繋がっていくのではないか?。産地とITのOFF談議…。

産業がもう一度元気になれば、まちも元気になるだろう。

井澤知旦:今年は特集として「ネットコミュニティ」を取り上げた。従来のコミュニティは地域コミュニティや同業者コミュニティというのがあると思うが、特に地場に根ざす産業の多くは新たな展開を迫られるという状況のようである。地縁や既得縁といった従来の縁を、ある意味どう脱皮するのかというのがテーマになってくるのではないか。インターネットが発達し、電子社会を迎え、電縁という言葉が登場してきた。成熟時代をどう生き抜くか、電縁をどう活かしていくか。産業がもう一度元気になればまちも元気になるであろう、まちづくりにも繋がっていくだろうという観点から今日はお集まりいただいた。
 本日は地域の産業である有松絞りから村瀬さんと早川さん、そして美濃焼から金さん、常滑焼から杉江さんと、インターネットという人と人とのつながりを結びつける有効な手段となりつつある分野で、様々なコミュニティをつくっている小林さん、千葉さんをお呼びした。今までは常滑焼は常滑焼、美濃焼は美濃焼でそれぞれに展開され、まして異業種である有松絞りとの交流はほとんど持たれなかった。しかしネットコミュニティにより、今までにはないような新しい手の組み方もあるのではないか。
 それぞれの業界のおかれている状況そしてこれから今の閉塞状況をどう打破しようとお考えなのかという点をお聞かせください。
また、物事にはオンラインがあればオフラインも当然必要である。その両方をネットコミュニティと呼びたいのだが、その仮想・現実両面を持つネットコミュニティの意義は何か、それをどう活用していくかという点で、お話ししていただきたい。

人との違いをいかに見せるかを信条に、30年間。

早川嘉英有松で生まれ育ち、父親が染色をやっていたのが、絞りの世界に入るきっかけである。絞りの世界においても伝統工芸や他の作り手から逸脱した活動をしている。
 人との違いをいかに見せるかを信条に30年間絞りをやってきた。その違いとは絞りだけれども絞りには見えないものをつくるということである。絞りというテクスチャーを用い、布にはこだわらず様々な素材に挑戦している。絞りの技法は「縫う」「畳む」「絞る」の3つであり、その共通点は皺にある。この「皺の形」を形状記憶させて染めるのが従来の伝統工芸「絞り」だが、私はこの「皺の形」を形状記憶させることを他の素材にあてはめて、土や木や鉄、ガラスをも対象としている。
 産地有松の現状は、一言で言えば死んでいる、虫の息である。絞りを生み出してきた従来のシステムが崩壊しつつあり、下職と呼ばれる絞り職人や版職人が力を持ち、問屋に取って代わろうとしている。

職人の評価を高めることへの必要を痛感して。

村瀬 裕:私はもともとは絞りの型職人である。手に職をつけようとこの世界に入ったが、当時の絞りは大量生産をするための分業制であり、そこに矛盾を感じていた。デザインをするためには他の工程を知る必要があると思い、絞りの工法を身に付けた。 
 1992年に名古屋で世界絞り会議が開催されたことがターニングポイントとなり、多くの人と出会い、世界の絞りを知った。そしてイタリアでの絞りの展示会に参加しながら、ヨーロッパ同様、職人の評価を高めることへの必要を痛感して帰ってきた。今は自分の仕事、また産地に誇りを持ち、その上で他の業界、世界からのニーズを非常に新鮮な思いで受け入れている。

井澤:産地の従来の考え方と最も異なるのはどんな点だろうか。

村瀬:なによりも和から洋へ変えたことである。洋に変えるということは技術は変わらないが、見せ方を変えることによって最近は他の産業との情報交換もできるようになった。今後も新しい可能性を求めたいと考えている。

井澤:職人が問屋を動かすようになるのだろうか?

村瀬:まだそこまでは行っていない。なぜなら私がこれでまだ儲けていないからである。絞りのチビTシャツも大ヒットはしたが、中国産により商品の氾濫がおき、産地は潤わなかった。産地のシステムそのものに問題があるのだ。

多様なニーズに応えつづけた結果、特徴が無くなってしまった。

金津洋一:14の産地からなる美濃焼の地で、和食器のメーカーを営んでいる。 
 やきものというのは1200〜1500年も前からつくられ、400年前から量産される産業となったといわれている。美濃焼には織部、志野、黄瀬戸などの工芸品も生まれたが、多くは機械生産による大量生産であり、生産量はトンなどの重さで全国の六割、金額で四割を占めている。
 見方によっては、量で勝負の安物とも受け取れるが、我々は普段使いに質の良いやきものをたくさん供給できるのが美濃焼の力だと思って頑張ってきた。ヨーロッパを始め芸術品に値する器は多くあるが、普段使いの食器として世界一の品質をもち、日常生活の食卓を豊かにしてきたと自負している。
 しかし日本・世界の多様なニーズに柔軟に応えつづけた結果、特徴がなくなってしまった。有田、九谷、信楽などはそれぞれ明確なイメージを人々に与えている。20年前には1500社程あったメーカーも今では750社程になっている。800社になるころまでは企業数は減少しても全体の生産量は増加していたが、今では需給のバランスが崩れ、生産量も減少している。作家の世界は生き残るために伝統を維持、創造していくが、量産は減るしかない。 
 問題はいかに減らすかである。若者に魅力を感じてもらえるような減らし方をするには「特徴を持つこと」そして「世界に発信すること」だと思っている。かつての輸出品は外国の求める洋食器を生産していたが、今後は和食器を送り出せないかと画策している。そのツールとしてインターネットにも期待している。

「スペースとこなべ」というコミュニティ空間を、オープン。

杉江恵子:実家が窯業を営んでいたが、自分はサラリーマン家庭に嫁いだ。15年程前から常滑の公民館で常滑について勉強する会に参加し、今は会長を務めている。
 それまでは自分の住むまちについて何も知らなかったが、常滑も900年のやきものの歴史を持ち、海から日本中に製品を送り出して来たことなどを知り、これをたくさんの人に知らせたいと思うようになった。全国の千箇所以上から破片が出土するという歴史のある産業やまちを、住民はあまり良いとは思わないものだ。新聞をつくったり、展示会を開いたり、様々な活動を行っている。
 20年程前にやきもの散歩道が行政の手で作られたときは、煙突、窯、やきものを利用した塀や土留めなどの景観が観光の対象になるとはだれも思わなかったが、最近、観光地として注目され始めている。産業としては美濃とは逆に朱泥の急須や土管などの常滑焼のイメージが強すぎるようだ。朱泥の急須は作家の一品ものは別として、中国製品に市場を取られようとしている。問屋自体が常滑以外のやきものを扱うようになって来ている。作り手は問屋に頼らず、自分でも売るルートを開発しようとしている。
 二ヶ月前に観光ルート上に「スペースとこなべ」というコミュニティ空間をオープンさせた。店にいて思うことはメディアの力で全国から人が来るが、みな、常滑焼「らしさ」を求めてやってくる。
 文化や歴史、人など、目に見えない付加価値が求められているのだ。

井澤:この夏から秋にかけて、やきものの四産地を巡るモニターツアーというのを開催したが、常滑のモニターは、「常滑がもっとも魅力がある」と答える。常滑らしい風景が残っていることをみなさん誇りに思っている。さて、産地の現状は大変厳しいものがあるようだ。冒頭の従来コミュニティだけでは、この閉塞状態を打破するには難しいと感じる。では、次に新しいコミュニティづくりを実践されているお二人に話しを移そう。

インターネットで物販を始めた結果、コンテンツで人と人が繋がり、ビジネスにもなった。

小林丈太郎:インターネット産業はビジネスユースになってからせいぜい5年くらいである。現段階までそれはインフラ事業であり、インターネットが金脈であれば、今まではそれを掘るスコップを売って儲けようとする人たちがいた。 これを僕らは分析し、インターネットを相互扶助の精神で生活に役立てたり、人助けしたりすることが大切だと思った。すると不思議なことに、人が集まってくれ、たくさんのアイディアが生まれ、結果としてビジネスにもなった。 
 例えば空き缶や車のシートなどをリサイクルして作られたリウォッチ、マスコミでも取り上げられたが売れないと社長から相談を受け、ネットで売ってみたところ、東急ハンズでは月に数個だったのがネットでは一日に2、3個は出るようになった。時計売り場では時計としての切り口だけだが、インターネットではリサイクル、オリジナリティ、話題性など様々な切り口で魅力となったようである。
 インターネットのおもしろさはその先に店長やつくり手が居ることであり、ユーザーが納得するまでメールで意見交換ができた。またその経過もホームページで公開している。
 今後予測される変化はデータのやり取りが高速化され、加えてパソコン以外の使いやすい端末、例えばテレビとの融合など、インターネットを見る窓が多様化することである。

「ON」の動きを「OFF」に繋ぐことにも挑戦している。

千葉晋也:世田谷、川越をフィールドにまちづくりをしている。
 まちづくりはやはりそのまちの「らしさ」を探求するところから始まっていると思う。90年代初頭には、その「らしさ」追求の勘違いともいえるテーマパーク開発などが多かった。世田谷は市民活動が盛んで勢いは良いが、北海道出身の自分から見ると「らしさ」がいまだ見えてこない。谷中という街では、コミュニティランゲージともいう、サインがあって、例えば戸が数センチ開けてあると、「話し掛けてほしい」という合図だったりする。そういったコミュニケーションも拾い上げていきたい。様々な地域にやる気のある人たちの動きは多い。玉川ブリッジ「たまぶり」というホームページの立ち上げも手伝ったが、お金にはつながっていないのが現状である。
 最近インターネット以外のツールとして互いのできることを交換するエコマネーを検討している。またバーチャルではないリアルの場としてはオープンカフェを研究している人もいる。横浜の自転車置き場になってしまっている広場を月二回オープンカフェにするという試みがあるが、好評で当初は行政が設置したが今では商店街が出資するようになっている。そういった「ON」の動きを「OFF」に繋ぐことにも挑戦している。

井澤:全く違う分野から集まってもらったわけだが、みなさん、他の業界との交流は、どのようなことをしているのだろうか。産業として新しいことをしようと思えば、視点、技術、また販路などの新規開拓もしなければならないだろう。他の分野と交流をすることで新しい動きがあるかどうか、教えて下さい。

他の産業と「交流」という段階には至っていない。

早川:交流という段階には至っていない。こういうことがしたいから、こうしてくださいと、依頼、指示を出すだけの関係である。自分の思いが相手に通じるだろうかと常に懸念している。もちろん金も時間もかかり自分だけの思いでやっている。

井澤:依頼先はどのように見つけるのか。

早川:ツテのみである。最初は親戚のレベルから紹介に紹介を重ねてもらって行き着く。ガラスを絞ったときはキャスティングという技法にたどり着いたのだが、それができる人を探してもらったところ、なんと愛知教育大学の外人の先生だった。やはりアーティスト同士の共同作業となると難しいことが多く、職人さんを見つけたかった。また2.5m×0.9mの大きなガラスを用いたため、大阪の工場に依頼することになった。土の関係で行けばセラアートという紙状の粘土を形にして焼く技法を知り、土岐の試験場に協力してもらったこともある。

井澤
:村瀬さんはインテリアとセッションしていると聞いたが融合のきっかけは何だったのか。

村瀬:絞りの布で空間を飾ったことがあり、その時の資料を偶然見たというインテリアメーカーから問い合わせが来たのがきっかけである。

井澤:活性化しようと思えば新しいことをしなければならないだろう。そしてそのためには新しい出会いがいる。この出会い作りにネットが使えないかと思っている。 ツテを使って探すのでは限界があるだろうが、ネットで呼びかければ出会いの場は広がるかもしれない。

ネットの強みは同じ思いをもつ人が繋がりやすいところである。

千葉:インターネットができたおかげで雑誌一つ作るにも、若い無名の人と世界との距離が近くなったと感じている。日本の無名の作り手がロンドンの作り手とやり取りできるなど、従来では考えられなかったことが起こっている。これらにおいて強みとなったのはクリエーター、モノ作りをする人が最初からインターネットを利用できる環境にあって、必要になったときにすぐ使えたことだろう。
 融合させることとまちづくりについて言えば横浜鶴見のオープンカフェを例にすると、そこで開催しただけではそれだけのことだが、全国の同じ思いを持つ人と情報交換して、他の地域にも伝播していくという仕掛け方がある。また海外の例だが、障害のある人たちが作業所で作製したブラシをアーティストが作品にして好評を得て売れたという話もある。アーティストと障害者が交流したということだけでなく、感性にあう良いものを購入したら、たまたま福祉に貢献したというストーリーもできた。
 美濃焼がどんな風にでも作れるということは、逆にストーリーが必要だということだろう。また常滑では歴史を正しく伝える場所が必要で常滑らしさを求める人を満足させる場が必要だということだろう。ネットの強みは同じ思いを持つ人がつながりやすいところである。

村瀬:そういった意味でネット展開で絞りの可能性がインテリアやアパレルなど、多様にあると気づいていても、実際に作るのは自分ではない誰かである。この誰かを探す部分で大変期待している。 海外とのつながりも、ある程度ネット上でアクセスできるとなれば最大の武器になる。

意見交換だけならもう行われている。マーケティングを同時に考えていかなければならない。

小林:異業種間のコラボレートのきっかけを生んだり、意見を交換するということは現実ではもう行われているし、有効だろう。ただ、作り手とデザイナーがおもしろがって、やり取りしているだけでは、待っているに過ぎない。
 千葉さんの言ったネットワークというのはそれで食べていこう、儲けていこうという考え方である。ターゲットは誰なのか、はたしてこれは受け入れられるのか、マーケティングを同時に考えていかなければならない。

千葉:ネットコミュニティというのをどういう枠組みにするのかだろう。作り手同士の満足もまたそれだけでも情報としてマーケットになるだろうが、それに加えて「こういうものが欲しいから作って」とか「これがあったら買うよ」という買い手の存在もほしい。

小林:インターネットが圧倒的に違うのは、消費者が作り手と同じ立場で、同様に発言できることである。
 一つ開発するのに300万円かかるものも、それを必要とする人が千人集まれば、3000円になるのだ。インターネットが始まって、その方法・選択肢が一つ増えたということだろう。

金津:インターネットで何かやってみたいとは思うが、まだインフラが不完全であり、その存在自体が不確かである。その不完全なもので何かやろうとしても、採算にあわないということを認識しなければならない。まだインターネットを使うこと自体に満足しているだけなのである。インターネットというのは情報が主であるが、情報が先行しても物流がついてきていないのではないか。
インターネットで物を買わせるというよりも、インターネットで情報を得て予約をして実際にデパートで受け取るというような、行動のきっかけとなることの方が重要ではないかと思う。常滑焼にしても情報を見て、「スペースとこなべ」に行きたいと思わせるほうが良い。

小林:確かに不完全であるし、現実の場、新聞、雑誌などのメディア、そしてインターネットが全て存在して成り立つことだと認識している。
しかしこの後、インフラとして完備した時にはさらに使い勝手が良くなる。今後どういう使い方をされるかは予測がつかないが、零細企業でも大手と勝負ができる。これまでの中央集権型のメディアではなくなるため、そこに向けて、今から助走していく必要がある。

井澤:インターネットのみで物販が進むことには絶対にならない。最も進んでいるアメリカでさえ一割程度だと聞く。つまりとって変わることにはならないだろう。しかし従来の消費者の声→問屋・商社→メーカーという需要の伝わり方が、消費者→メーカーと変わり、それに対応したものづくりとなることも有りうるのではないか。

金津:例えば陶磁器業界だけでちゃんと成り立っている仕組みがまずあって、何か交流をするときに便利だからそれを利用する、訪れるというのが自然ではないだろうか。
 場を訪れるにしても、サイトを訪れるにしても、その場所やサイトそれ自体が機能していることが前提である。それが各々で整ったときに、初めて実行力のあるネットコミュニティが機能するのだと思う。
 業者間で必要な情報をやり取りできる仕組みとしては期待できる。いつの日か絞り業界から、あるいはガラスの業界から声がかかるかもしれないから、それを受け入れる場所、自分達の業界で便利の良いように作った仕組みに、他の業界が訪れるというのが望ましい。

早川:私は、インターネットを使ったとして、ガラス職人が見つかったら、もうそれで充分である。ものすごい成果だと受け止める。ただ情報量が増えたときに選択する能力がこちらにあるかどうかが大きな問題として残る。この能力を同時に育てていかないとインターネットだけが成熟しても、ネットコミュニティは成り立たないだろう。

小林:使っている人はそれぞれの価値観で成功を感じているだろう。それぞれの業界にとって最も都合の良い使いかたを見定めればよいのである。

井澤:異業種が出会うためにサイトを作るというだけでは商売として成り立たない。ネットというとインターネットを思いがちだが、「まち」という現場とあわせて両方でネットである。これは異業種のことだけを考えているわけではない。
千葉:杉江さんの立場がここで効いてくる。地域のために面白いことをやりたいと「スペースとこなべ」という場所をつくるということは、儲からない部分ではあるが、それぞれに待ちの姿勢を取っている業界に、住民が出会いの場を提供し、応援するという仕組みができるのではないか。例え電話代が安くなっても、インフラが整ったとしても、一般の人がそういう思いを持って伝えていかないとなかなか広まらないだろう。

「まち丸ごと」発信したい。

杉江:何を伝えたいかという情報がなければ、場自体も成り立たないと思っている。活動を続けている中で、産地から協力してほしいと要請をうけ、個々ではできなかった新しいことが動き出すことも出てきている。私の立場は常滑に住みつづけ、常滑を愛し、常滑のまち丸ごと発信したい情報を温めることだと思っている。

千葉:まちづくりは市民と行政、事業者からなりたっている。今ITに対するお金が国から下りて来ていて、これを何に使ってよいか分からないと聞いたりもする。これを地域コミュニティを応援するために使って欲しい。

金津:富山のある自治体が全住民にインターネットを使える状況にしたところ、結果としてもっとも使われているのはお年寄りのメール機能だという。これはもったいないのではないか。コンテンツがないのではないか。

小林:おじいちゃん、おばあちゃん自体がコンテンツではないだろうか。メール機能が使われるようになったことが素晴らしい。あそこではそういう使われ方がベストだったということだ。

早川:忘れてならないのは一番大事なのは人だということだ。人同士がメールをやり取りできるようになったのは素晴らしいことなのだ。さらに出かけていって会うようになればもっと良いのだが、そこで機能するのが行政ではないか。

メッセージからマッサージの時代?

井澤:電話も最初はビジネス利用が目的で開発された。しかし携帯電話となった今はメッセージではなく、マッサージだと言われている。それ自体に意味はなくとも、たわいのない言葉のやり取りで元気になれる、癒される、そういう役割・機能を確立している。とはいうものの、金津さんの考え方、そこまでネットを張り巡らせておいてマッサージだけか、というのもよく分かる。

千葉:それぞれの地域や業界が、一番、得意な手段で交流していった結果、蓄積した情報やそこから得られた結果を世界に発信するという考え方もあるだろう。
 地域で勝手に繋がりたくて繋がったコミュニティにおいて、出されたアイディアが業界において商品化されたりすれば素晴らしい。また、総合教育では子ども達が地域に入って活動しようとしているが、地場産業を取り上げていくことは行われるだろう。その時にそこに加われないのが地域に住むお父さんやお母さんであり、そこを補完するという使い方もあるのではないか。

ネットコミュニティは、六割が関係者、一割が異業種、では残りの三割に何がくるのか。

井澤:既存のネットコミュニティの主催者から聞いた話だが、コミュニティの構成割合は六割が関係者で、一割がコンサルタントや学識者などの異業種、残りの三割が関係のない人だという。この三割というちょっと違う人も入れるというのが地域の活性化のキーワードになっているのではないか。例えば陶磁器業界であれば、この三割の部分にどんな層が入ってくれば、効果的かを考えることがネットワークの練習になるのではないか。

杉江:新しいコミュニティをつくることは大事である。自分をまずは確立して、私は人と人とのつながりのお手伝いを、バーチャルではなく現場の世界で役割として続けていきたい。

金津:産業の立場で言えば、現場でのものづくりのためのインターネットであり、ネット上でやり取りされた結果に、モノができたり場が生まれたりすることを望みたい。すなわち高付加価値の情報があり従来の活動が活性化する、コンテンツを作らなければならない、それは考えていきたい。

早川
:自分はやっと携帯電話を使えるようになった段階だが、やはりおもしろくて興味をそそられるサイトができるかどうかが課題だと思う。人がわっと集まってくれば次のコンテンツも生まれるのではないか。とにかくまずは人を寄せる面白いだけのものを作っても良いと思う。

村瀬:職人だけをやっていたころは言われたことをやっていれば良く、人に会うのも苦手だった。しかし方向を変えてから人と会うのが楽しくなった。これは何よりも自分が情報を出せるようになったからである。情報を出せば出すほど、もっと良い情報がかえってくる面白さも知った。そしてさらにもっともっと情報を得たいと思うようになっている。その道具としてネットコミュニティに大きな期待を抱いている。

小林:やはり成功のポイントは、早川さんがおっしゃったように自分がいかに楽しいかということであろう。とくに同業者間ではそれが可能で、活性化しやすい。
 ただマニアックにもなりやすい。そこに三割の他者をいれることで閉じこもりは防げる。私自身、今日この場を得て、もっと皆さんと話したいと思ったし、アイディアも浮かびそうである。

千葉:結論は出なかったがアイディアは出た。我々が、ここにいない後の三割を得ることによって何が起こるかを考えたい。そしてインフラの整った瞬間を待つのではなく、今の状態でやれることを考えるべきだとも感じた。

井澤:三割に何をいれるかはそれぞれの業界、地域においてテーマとなるかもしれない。ネットコミュニティでは、サイトそのものも面白い事が大事であり、人、まち、またそこにしかない何かがあることも重要だ。現場もインターネットも情報に出会うということは人に会うことに繋がる。
 現場は絶対になくならない。インターネットはまだまだ見えないことは多いが、可能性はあると今日感じた。まずやってみろという一押しも頂いた。
 長時間にわたり、ありがとうございました。

座談会を終えて ネットコミュニティの展望/井澤 知旦

モノづくりの現場 東海

 東海地域はモノづくりの現場を多く抱えている。しかし、どの地場産業も市場は飽和状態にあり、それに加えて海外からの安価な商品(質も年々良くなってきていると聞く)が大量に輸入されて、各産業界は厳しい。今回登場していただいた陶磁器業界や絞り業界はその典型であろう。各業界の商社自身が、海外に生産拠点を求めて地場産業を離れ、結果として業界の首を自ら絞めていることになる。これまで業界は縮小を続けてきた。これからも縮小を続け、いずれはどこかで均衡するのであろう。
 しかし、手を拱いている人ばかりではない。「素材供給→製造→問屋商社→小売→消費者」のモノの流れがあり、現状では問屋商社の力が大きいが、それよりも川上の分野である製造業あるいは職人が積極的に商品企画や製品開発を行うようになってきている。
 業界の構造転換を促す力を秘めているものの、その力はまだ小さい。縮小均衡を前提として、業界構成員すべてが生き残れないなら、「やる気」のある人々のその「気」を結集することが重要になる。そして消費者の欲しいものを的確に把握し、他の追随を許さない独自の素材や技術・技法により生産していく必要がある。
 よって、消費者と直接的に情報交換あるいは同業種・異業種と協働ができる効率的なコミュニケーションの場が求められる。

インターネットのコミュニティの登場

 これまでならマスコミを使って不特定を相手に大々的にやるか、特定の小規模なグループを形成して細々・深々とやるかのどちらかであったが、インターネットの登場によって大きく様変わりしつつある。
 インターネットの商用化が始まって、高々五年しか経過していない。今のところ金脈を掘り当てるためのインフラ整備事業者と探索掘削機械販売会社が儲けているのであって、金脈そのものを掘り当てた企業は多くない。砂金が出て大騒ぎしたものの金塊が出ない、あっても質が悪くとても事業採算に合わないという類で、大騒ぎ(ネットバブル)のあとの寂しさが漂ってくる。とくに産地から見れば、仮想であれ、現実であれ、物販がそれを通して促進されなければ意味はない。少なくとも企業が自身のHPを作ったことで満足している時代は過ぎた。
 インターネットの特徴は双方向コミュニケーションにある。先の問題意識によれば、消費者ニーズの把握や顧客の囲い込みなどはどれだけ質がよく(換言すればロイヤリティの高い)訪問しやすいコミュニティを形成するかである。また同業種や異業種の交流と協働から生まれる創作にもコミュニティ化は有効である。前者によるニーズ把握と後者による提案の両方が重要である。
消費者がクリックしたくなるためにはブランド化とライフスタイルの共有が重要だと言われる。同じ価値観をもつ仲間の中では居心地がいい、ましてモノづくりに参加して自分達のブランドをつくることができ、新しいライフスタイルを再定義できるとなれば、よりエキサイトできるウェブサイトができるのであろう。
 実効性のある異業種交流を図るには、同業種や同業者間でのネットによる情報交換や事業効率を徹底してはかり、そのもの自体が十分に機能していることが望ましい。そこに異業種が訪れ、欲しい情報を交換しあい、協働が生まれる仕組みづくりを構築することである。その協働相手も世界から仲間が集められる。

現実世界のまちづくり

 ここでいう地場産業は一般的な製造業と異なり、生産システムが地域に密着し、モノづくりの生活文化が地域に定着しているイメージを描いている。よって、地場産業の場合、「現場」が大きな意味を持つようになる。仮想空間のうえだけでのコミュニティでは片肺であり、関わりを持てる現実空間でのコミュニティの双方があってこそ、ブランド化やライフスタイルの共有が図られるのではないだろうか。オンライン(仮想)とオフライン(現実)の一体化は、どの分野にも共通するテーマではあるが、特に地場産業では持つ意味が非常に大きい。
 やきものの産地では、都市観光の一環で窯や煙突を保存し、やきものの町にふさわしい景観形成に取り組んでいる。醸造の産地では土蔵の活用がテーマになっている。有松も絞りのある歴史的町並みは全国的に有名である。
 成熟社会では、モノにこだわりを持つほどに、それぞれのモノがどのような素材で、どのように製造されているのか、現場に人々の目が向くようになるのではないだろうか。そして、そのモノに詰まった物語〈それが町そのものであり、作り手(職人やメーカー)そのものである〉の蓄積に価値を見出すようになるのではないだろうか。
 来訪者と地域の生産者・生活者とが現実空間で出会い、モノと情報が売り買いされることによって、仮想空間でのコミュニティが一層強化される。日常的には仮想コミュニティで情報を交換しあい、非日常に現実コミュニティで交流がなされるイメージである。
 しかし、今のところ中途半端である。産地には過去の栄光があり、中途半端なブランドで伸び悩んでいる。若者や若い世帯に対して新しいライフスタイルを提示し得ていない。

ネットコミュニティの構築にむけて

 仮想コミュニティだけでなく、現実・現場で人と人がつながる新しいコミュニティが生まれ、両方で双方向コミュニケーションができる場と仕組みを「ネットコミュニティ」と呼ぶ。
 ブランドの強化や新しいライフスタイルの提案、消費の拡大など、産地が抱える課題に対し、「ネットコミュニティ」の構築が、今求められている。
 現実世界では古き良き変わらぬものと新しい機能が導入されて変化するもののバランスが重要である。しかし、インターネットの世界では、常に新しい情報が生み出され、それが蓄積していく。変化のスピードが異常に速く(まさにドッグイヤー)、従来型組織の意志決定システムで対応することが難しい。「やる気」のある人々が結集し、まずは行動を起こして成功例を生み出せば、傍観していた人々もその中に加わってくる。ボトムアップよりトップアップである。
 「ネットコミュニティ」の構築はインターネットの歴史が浅いだけに、その道のプロはいない。仮想コミュニティと現実コミュニティを動かしていくには双方を理解するプロデューサーが必要である。そこにスペーシアが役割を担うことができればと考えている。


【座談会パネラー紹介】

早川 嘉英 さん 絞り作家/蔵工房 主宰 

名古屋市緑区有松町に生まれる。
 染色の家に生まれ、自らは絞り作家として有松で作品を作り続けてきた。その独特な作風は有名DCブランドにテキスタイルを提供することとなる。また同時に、布に限らない「絞ること」をテーマに従来の絞りの概念を超えた作品づくりを発表しつづけ、1982年の日展入選を初め数々の賞を受賞。
 その後、定期的に名古屋・東京・京都で個展を開催。「国際絞り会議」発起人、ワールド絞りネットワーク等、絞りの発展にも力を注ぐ。

村瀬 裕 さん/絞りテキスタイルプランナー/スズサン 代表

愛知県東海市に生まれる。母方の実家が絞りに携わっていたことから、もともと絞り型職人であったが、1992年「国際絞り会議」に実行委員として参画したことをきっかけに、絞りテキスタイルプランナーとして活躍することとなる。イタリア・コモ、ミラノまたニューヨーク、東京等の商品展示会やワークショップに参加し最近ではファッションアパレルを中心に、インテリアデザイナーとのコラボレーションによる商品づくりを行っている。また、次代を担う子供たちに、伝統産業を伝えていくため小学生対象のワークショップを積極的に展開している。

金津 洋一 さん/市原製陶株式会社 代表取締役社長 

岐阜県瑞浪市に生まれる。
(旧)株式会社ナルミ、浅草の和食器卸(有)やま吉を経て、瑞浪市にUターンし、市原製陶株式会社へ。 業務用、ギフト用の和食器を中心に、日常の食卓に求められるやきものを各地へと送り出している。
 美濃焼産地の食器製造、原料製造、流通に関わる企業有志と試験研究機関などが集い、やきものの原料"土"の有効活用や環境にやさしい資源循環型食器づくりに取り組むグループ「グリーンライフ21プロジェクト」に結成当初より参加し、リサイクル・システム部会のリーダーとして活動。また、岐阜県工業協同組合連合会のニュー・セラミック開発部会理事を務めるなど、美濃焼の新展開に積極的に取り組んでいる。

杉江 恵子 さん/スペースとこなべ 代表

愛知県常滑市に生まれる。
 生家は大正時代より続く窯家である。常滑親子劇場に入会後、子供と共に地域の文化を考える常滑郷土文化会「つちのこ」を結成し、地域の歴史や文化のほりおこしをおこなってきた。現在は会長を務め、新聞発行や企画写真展、小冊子、マップ等を製作している。酒蔵寄席「お笑い大吟醸」や常滑焼きの打楽器を用いた人形劇等まちづくり活動の開催、また、やきもの5産地、有田・多治見・瀬戸・四日市・常滑のやきものの音を集めた「ジャパン・セラミック・サウンド、響け地球の音」をプロデュースする。あすの常滑を考える市民会議「あすとこねっと」を青年会議所のメンバーといっしょに立ち上げ、現在副議長を務める。
 2000年9月 まちづくり活動の拠点「SPACE とこなべ」をオープンし、現在は、SPACEとこなべを中心に、さまざまなまちづくり活動を仕掛けている。

小林 丈太郎 さん ウェブ・プロデューサー/(株)キャラバン デジタルコミュニティ事業部長

東京都に生まれる。
 大学在学中、トルコに留学し、トルコ人起業家と共に、日本向けの文化交流事業を行う。その後「人との出逢い」をキーワードにしたコミュニティサイト「世田谷NET」を立ち上げた。現在26歳。
 様々な出会いの中から生まれた「コンピューターおばあちゃんの会」は大成功を納め、今では会員数300人を超えるコミュニティに成長する。1998年行政の呼びかけで行われたイベント「ぶりっじ世田谷」で出会った現在のぶりっじメンバー達と、地域を豊かにするためのコラボレーション集団bridge..acを結成。現在はインターネットに代表されるデジタルコミュニケーションテクノロジーを活用し、様々な業種・分野・地域を横断し、送り手と受け手を地球規模で一人ひとり直接に結びつけることを目指し活躍中である。
E-mail:jotaro@caravan.co.jp
今までに立ち上げたデジタルコミュニティサイト:
世田谷NET http://www.setagaya.net/
 ReWATCH http://www.rewatch.net/
 喜多郎オフィシャルサイト http://www.kitaro.net/
 ロンドン・ブーツオフィシャルサイト http://www.lonboo.com/
 陸ハッカー http://www.fandango.co.jp/okahacker/

千葉 晋也 さん  都市デザイン、クリエイター/(株)柳田石塚建築計画事務所

 札幌市に生まれる。
 学生時代に現代アートを学び、出会いや創造の場をまちなかに展開する実験プロジェクト「札幌カフェ」など、人が参加することによって完成する「参加型」のプロジェクトを多数展開。これがきっかけで、まちづくりの世界に入る。北海道の地方商店街の再生プロジェクトや、札幌市の都市景観の仕事を経て、現在は東京を拠点に世田谷区、横浜市、川越市等で、参加型ワークショップや、景観シミュレーション、歴史的な建物の保存などの仕事にかかわっている。
 1996年、インターネット雑誌「SHIFT」の立ち上げに参加したことを契機に、インターネットの特性を活かした新しいまちづくり・ものづくりのあり方をテーマに据えた活動を開始。1998年には、世田谷を現場としたネットコミュニティづくりを考える団体「bridge.ac」を共同で立ち上げ、ネットと現場を「ぶりっじ(橋を架ける)」する新しい「参加型」プロジェクトを多数展開中である。
E-mail:chibashi@shift.jp.org
今までに手がけたプロジェクト:
 『ぶりっじ世田谷』ホームページhttp://www.setagaya.net/bridge/
  online Magazine SHIFT http://www.shift.jp.org/
  プラハまちづくり情報センター http://www.jade.dti.ne.jp/~praha/
  札幌カフェhttp://www.iacnet.ne.jp/~chibashi/cafe/scafe-txt/
  世田谷風景づくりフォーラムhttp://www.setagaya.net/bridge/fukei/
  みどりのまちネットhttp://www.setagayaudc.or.jp/machisen/ecovillage/
  せたがやみどりチャンネルhttp://c2.bridge.ac/eco/midori-ch.html
  web C*2(ホームページ)http://c2.bridge.ac/

【地域紹介】

常滑

 常滑の歴史は古く、平安時代末期より900年にも及ぶ。瀬戸、信楽、越前、丹波、備前とともに日本六古窯の一つに数えられ、中でも常滑焼きがもっとも古くその規模は最大といわれている。
 生活用の壺等が多く作られていたが、江戸時代にはじまったといわれる朱泥焼も急須として親しまれてきた。明治時代に鉄道の建設に伴い土管の量産化を成し遂げ近代工業として確立される。以後、タイル、植木鉢など、実用陶器を作り上げてきた街である。登り窯は斜面を利用して作られており、石畳のようにレンガや土管が敷き詰められた坂道は「やきもの散歩道」と名付けられ独特の風情を出している。

美濃

 美濃焼とは、岐阜県東濃地方の14地域でつくられるやきものの総称である。
 古くは志野、織部、黄瀬戸といった独自の美しいやきものを生み出し、その歴史と伝統を受け継いできた。現在でも全国で利用されている約半分は美濃焼と言われるほど、大きな位置を占めてきた。 
 近年、県セラミックス技術研究所や美濃焼産地の民間企業約20団体で構成された「グリーンライフ21プロジェクト(GL21)」が、壊れてしまったり、時を経て生活に馴染まなくなった不用陶磁器を、食器に再生する循環型の食器を開発し、リサイクルシステムの確立に取り組んでいる。

有松

 有松の町は、東海道の街道の安全のため宿場町の間に茶屋集落としてできた街である。入植者の考案した絞りが有松絞りとして東海道の名物の一つとなり、商家町が形成された。
 江戸中期の大火をきっかけに、藁葺きであった屋根を瓦葺きに、壁は漆喰の塗り籠め造りに、さらには虫籠窓やうだつを設けるなどして現在の町並みを生んだ。その後、再び有松は絞り問屋を中心に隆盛を取り戻し、その繁盛する様は安藤広重が東海道五十三次でも描いている。
 有松は昭和59年、名古屋市で最初の町並み保存地区として指定され、現在玄関口である名鉄有松駅前の再開発も進んでいる。

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