スペーシアレポート

「街」を織りなす演劇祭「名古屋まちんなか演劇祭」賛歌

山内豊佳

 1996年、一つの劇団が、白壁界隈の伝統的日本家屋(橦木館)を舞台にして、古い建築の魅力を題材にした演劇公演を行なった。これをきっかけとして、1998年より日本演出者協会愛知支部による「名古屋まちんなか演劇祭」は始まった。
 この演劇祭は、既存の劇場内で行われる演劇ではなく 「まち」を主体に、その「まち」空間に合ったものを上演し、広く一般にその場の魅力を体感してもらおうという、他都市に例を見ぬ試みである。
 地域や建物がすでに持っている歴史や物語を、文で読むより、写真で見るより、ドラマを通して再発見しようということである。毎年10程のお芝居や催しが行われ、歴史建築保存・活用の重要性を訴えかけていく上で、大変評価の高いイベントとなっている。

 初年度、演劇祭は橦木館、揚輝荘聴松閣、加藤邸といった伝統家屋を会場に「異色の演劇祭」として注目を浴びた。1999年、名古屋市が徳川園から名古屋城に至る白壁、橦木界隈を「文化のみち」と名づけ保存・整備を進めていく計画を発表したことから、「文化のみちフェスティバル」と位置され、名古屋市が管理する徳川園蘇山荘、旧豊田佐助邸といった建物を会場に加えることが可能となる。また昨年2000年は産業技術記念館を会場に加え、まちんなか演劇祭は街にじわじわと広がってきた。劇場では体感できない場のエネルギーを、観客は感じているに違いない。

 建物が演劇で実際にどの様に使われているかを、昨年の公演の様子から少し写真とともに紹介する。「まちんなか演劇祭」の実行委員長でもある水野誠子氏は、もともとこの演劇祭を仕掛けた人物、また斉藤敏明氏は事務局長としてとりまとめの労をとっている人物である。私たちが気づかないうちに街の魅力は一つひとつ姿を消していく。実行委員会は、舞台演出家、劇作家という新しい目で、空間として目に見えるもの、また目には見えない場に漂うドラマを掘り起こし、街の価値と魅力を多くの人に伝えていきたいと、街並みの保存についても高い意識を持っている。しかし現実は、通常の劇場で行うものに比べて、設営的な予算がかかるため、チケット一枚一枚を手売りし、舞台を賄っている劇団側にとっては決して楽なイベントではないようだ。小劇団が、毎年継続していくことは至難の業なのである。

 「まちんなか演劇祭」に限らず、こういった自発的なまちづくりの活動は、資金的負担がかさみ惜しまれつつも消えてしまうことが多い。かつて全国的に認識されていた「芸どころ名古屋」の言葉は、町々の小さな境内芝居から始まったものだという。宗春とは言わないまでも、潜在する魅力をサポートする名古屋人の粋を、この街は思い出してはくれないだろうか?
 21世紀の街づくりに何が大切か?それは地域人材の活用だと、誰もが気がついてはいるはずである。 この舞台の世界だけをとっても、演出家協会の他にも劇作家協会など、若い文化人たちのエネルギーは確かに名古屋に存在する。東や西の都の人々をもてはやすだけでなく、地場の持っているチカラをしっかりと見いだし、見極めて支援し育てていく。そんな街の余裕を、この新しい世紀だからこそ、名古屋には培って欲しい。


水野誠子 演出作品(劇団きまぐれ)
「コノ星の王子様」

 産業技術記念館の「動力の庭」と呼ばれるレンガ壁に囲まれた中庭での野外公演。星の王子さまをモチーフにした戯曲で、産業技術記念館という場所を考え、モノづくりの心、そして人間のコミュニケーションについてのドラマを創作した。
 2面のレンガの壁と一本の大木を背景にして舞台を設定し、200席の客席を雛壇で組んだ。大型トラック、オープンカー、バイクなどを乗り入れた斬新な演出で、トラック自体が舞台になったり、大きなメール画面に変身したりと、広い空間を充分に使い切り、アート性の高い空間を生んだ。
 天上に抜けた舞台は、雲間に輝く星や飛行機の灯などが効果を倍増させ、こんな美しい場所が名古屋にあったのかと驚く観客は多かったようである。動員数約500名。


斉藤敏明 演出作品
「新・星女郎」

 泉鏡花の原作を演出の斉藤氏が脚色したものである。以前橦木館の公演のために書き好評だったものを、今回手直して蘇山荘で発表した。庭に面した座敷を客席にし、庭に能舞台スタイルで舞台を仕込む。その舞台周辺に何十個もの提灯がちりばめられた大変幻想的な装置である。泉鏡花の現実と幻が交叉する世界を、その提灯の灯火で表現し、古い日本家屋ならではの効果を十二分に活かしていた。玄関から座敷に渡る廊下も、提灯などの灯りをともし、建物への気の利いた演出もされていた。動員数約300名。
(一日雨で公演中止)


舞台となった建物

一.橦木館 /東区橦木町

 陶磁器輸出商井元為三郎自邸。正面に二階建てのスペイン瓦の洋館、奥には和風住宅がある。一時空き家になり、マンション建設等の動きもあったが、五年程前からこの邸宅を利用した現代風番茶茶屋として、まちづくりの仲間が共同スペース「橦木館」を開設。設計事務所やデザイナーなどが店子として借りている。
市指定文化財(平成8年指定)。大正15年建設。

二.加藤邸 /東区主税町

 陶磁器貿易商の隠居屋敷として五年の歳月をかけでじっくりと造りこんだ数寄屋風二階建て建築。室内の茶室など木工技術の粋を集めて作られた建物。主屋と土蔵、広い庭園を維持するため現当主が生活をしながら主屋の一部をギャラリーなどに利用し一般に開放している。
昭和10年建設。

三.揚輝荘聴松閣 /千種区法王町

 松坂屋を呉服店から一大デパートに変身させた伊藤次郎左右衛門祐民の別荘。一万坪の敷地内に数多くの建物をつくり皇族を初め官界財界の人々との社交の場であった。「聴松閣」は敷地の南側に木造三階建地下一階で山荘風に建てられたもので、地下にインド様式の舞踏室がある。
昭和12年建設。

四.徳川園蘇山荘 /東区徳川町

 名古屋市が名古屋汎太平洋平和博覧会の迎賓館として建設。日本庭園を囲んだ近代式の白亜塗り二階建てが主屋。茶室の太平茶屋は外観は猿面茶屋、内部は一笑庵を模したモダンなものになっている。
 閉会後、名古屋市に寄贈され東区の徳川園の庭園内に一部増築して移築されたが、平成八年四月に閉鎖され現在に至る。昭和12年建設。

五.旧豊田佐助邸 /東区主税町

 発明王豊田佐吉の実弟で、彼を影から支えた豊田佐助の自邸として建設。現在は名古屋市が現所有者アイシン精機から借りうけている。正面に白い洋館、それに続いて二階建て和風建物、西奥には蔵がある。応接室や廊下の天井には、鶴にトヨタの文字をデザインした換気口がある。
大正12年建設。

六.産業技術記念館 /西区則武新町

 トヨタグループ発祥の地である旧豊田紡織本社工場に残されていたレンガの建物を、貴重な遺産として活かしながら建設。次代をになう若い人々に「モノづくり」とそれに必要な「研究と創造」の大切さやすばらしさを理解してもらおうと豊田13グループで設立。

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