コラム

ライフスタイルってなんだ。

堀内研自

 先日、引越しをした。ちょっとおしゃれなライフスタイルをエンジョイしたかったからである。

 さて、新生活をはじめるにあたって、わくわくしながら部屋を探し、小粋な椅子や照明、机を買い揃えた。引越は時間に余裕があったので、それなりに納得の行く部屋が見つかり、お気に入りの家具をそろえることができた。万事完成、これでおしゃれなライフスタイルを送れるかに思えたが、できてみれば準備しているときの盛り上がりとはうらはらに、なんだかむなしくなってしまった。アパートニュースで部屋を探し、ディノスでベッドを選び、インターネットで椅子を買いと、よく考えてみると自分は誰でも持てるものを選んだだけで、自分らしい所なんて何もないではないか。これは自分のライフスタイルを造ったというより、単にモノの編集をしただけと思えたからである。それではそもそも、「ライフスタイルを造る」とはどうゆうことなのか。

 近年、二十一世紀においても急成長していく分野として「ライフスタイル産業」が注目を集めている。その背景には不景気のさなか、消費の低迷にあえぐ大手スーパー、百貨店を尻目に、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いの「無印良品」の存在が大きい。「無印良品」の商品コンセプトは「素材感」「シンプル」「トータルコーディネイト」ということであろう。つまり、「素材を生かし、むだな飾りを省いたシンプルな物であなたの暮らしをトータルにコーディネイトできすよ。」ということである。ライフスタイル産業界では、さまざまなモノの中から自分の価値観に合ったモノを選択し、自分らしさをコーディネイトする行為を「ライフスタイルの創造」といっているのだ。これはこれで楽しい行為であるのだが...

 さて、現代は右肩あがりの成長の時代が終わり、福祉や環境、教育などの問題が山とあり、めざましい発展が望めない分野が多く、なんとも閉塞感が漂う世の中である。そして、子供たちは将来の希望を求めるより、今を楽しく生きたいという思いが強くなってきている。楽天的な希望を持って生きられる時代は終わったということをすでに感じ取っているのだ。そうした時代に、自分の生活をいかに楽しくするかという思いが「ライフタイル産業」の追い風になっているのだが、そこで行われるのは「ライフスタイル」の表層部分であり、本来われわれが求めているのは深層部分のことであるはずだ。アメリカの作家ソーローは森の中で自給自足の生活を送り、こんな言葉を残した。「貧しくとも君の生活を愛しなさい。」

 日々の生活行為の中で、自ら愛すべき事を見つけられる価値観を持てるかが、自分らしいライフスタイルを創造できるカギであろう。そんな中、われわれコンサルタントや建築家はライフスタイルを提案していく身として、そして一生活者として「愛すべき生活」を問う必要があるのではないか。

目次に戻る