コラム
藤沢 徹
数年前から“市民参加のまちづくり”という言葉が全国の行政の合言葉となり、これまでの会議の形態に変え、ワークショップという体を動かして、積極的に議論に参加できる手法を取り入れた会議形式を実行してきた。さまざまな意見を政策に反映させるという意味では、ある程度成功を収めている。 しかしながら、ワークショップに参加する層を見てみると、学生にしても建築を学んでいる人、主婦層にしても何らかの団体の代表であったりするケースが多い。また、地域で実際に行われているワークショップの実態を、住民たちの大多数が把握しているかといえば、そういうわけでもない。 ワークショップという、行政が与えてくれた意見交換の場に出席しないことも問題ではあるが、大多数の人間の声が反映されないままに計画が決まってしまうことも問題である。 そこで、WEBを利用した、受身の人間への仕掛けが必要となってくる。自分が参加していないから、政策に対して不満が発生するとするなら、いかに責任を自分たちで負ってもらうかのシステムづくりにインターネットを利用するわけである。議論がWEB空間で活発になってくると、当然実際の現場においても参加者は増殖するであろう。議論の場をディジタル空間で行い、意思決定機関としてリアル空間を使えばよいのである。 そのときに、必要となってくるのが、市民が常時参加することができるコミュニティーサイトの構築である。現在、WEB上にはさまざまなポータルサイトが存在するが、発する情報に対して受身にならざるを得ないサイトがほとんどである。いわゆる参加型のコンテンツを集めたポータルサイトはほとんど無い。例えば、議論が行われるときだけサイトに訪れるというのものではなく、常に何らかの議論が行われているインタラクティブサイトの存在が必要である。 実は、「なごやネット」という名のコミュニティーサイトづくりを目下進行中である。このサイトは前述のニーズを満たすためのサイトである、と言いたいところだが、なかなか実現することは難しい。 このコラムの題はサイト製作途中に起きている、さまざまなプレッシャーからの自身の体への異変と、これから生まれるであろう物に対して発生する「痛み」である。椅子にも坐れず、また歩くこともできないほどの痛みではあるが、この痛みを受け入れたときにサイトも完成すると考えている。 |