特集 過去・未来まちづくり10YEARS

SPACIAの挑戦 これからのまちづくり

 スペーシアを設立して今年の7月で10年。この期間はバブルが弾け、まちづくりは激動の10年であり、スペーシアにとっては実績を積み、存在をPRしていく10年であった。10周年、そして、2000年という節目にあたり、ここでは、スペーシアとしてこれからのまちづくりをどう考え、どのように実践していくのかという展望を示したいと思う。
 地域に根ざす“知的地場産業”、一つひとつに創意と工夫を凝らす“空間芸術産業”は変わらない。しかし、これまでの業務はどちらかというと行政からの受託業務が中心であった。これからは住民ニーズを的確にとらえた提案を積極的に行い、行政や企業を巻き込んでのまちづくりの実践を展開してきたい。そこで、従来から取り組んでいる分野に新たな分野も加え8つのテーマをとりあげた。これらの展開は、スペーシアだけで実現できるものではなく、まちづくりに関わる多様な主体、様々なコンサルタントの連携が不可欠である。この提言がまちづくり実践の一助となることを期待したい。

中心市街地再生・都市再開発
新たな関係性としてのパートナーシップ
成熟社会への構造転換を受け止める地域開発・都市開発
住まいづくりからはじまるまちづくり
情報発信によるネットワーク形成〜インターネットを活用して〜
コミュニティ・ビジネスの芽を中心市街地に
都市にも農村にもリカレント教育の場を
時代の予兆としてのツーリズムの多様性

中心市街地再生・都市再開発

 1960年代以降の急激な都市化により、中心市街地の整備・改善は、都市問題の重要なテーマとなった。しかし、まちづくりが高度で専門的になりすぎたこと、複雑な権利関係や地域住民の共同体意識の崩壊などの要因が相まって、整備に時間を要し、郊外の新規宅地開発に遅れをとってきた。80年代、景気対策として中曽根内閣が打ち出した「アーバンルネッサンス」は、日本経済の華やかな将来予測のもと、規制緩和と民間活力導入という構図の中で、都市開発が大きな脚光を浴びることとなった。が、それは、豊富な資金調達が可能となった企業による商業・業務ビルの建設事業と化し、土地売却者の転出先としての郊外開発を一層促進し、その後の日本経済に大きな爪痕を残した。
 そして90年代、バブルの崩壊後、都市内に散在する不良資産処理や少子・高齢社会に対応できる環境重視のコンパクトな都市形成のため、皮肉にもあらためて本格的な都市の再生・再構築が問われ始めた。98年に「中心市街地における市街地の整備改善及び商業等の活性化の一体的推進に関する法律」が施行、13省庁・約150施策による中心市街地再生のための態勢が整えられ、大きな話題となっている。この地域の市町村でも、国の支援策を得ようと、中心市街地基本計画の策定が進められている。
 しかし、従来の考え方の延長線上で検討されている計画が多いように見受けられる。従来と同様な計画により市街地の整備・改善が可能なら今までにもできたはずである。特にこの地域では、バブル以前から開発ポテンシャルの低さが都市開発の阻害要因と言われてきた。今後の成熟社会到来を考えると、都市機能拡大を前提とする都市整備に一定の限界があることを認識すべきである。真に、中心市街地再生をめざすとすれば、第一に、限られた需要の拡散を防止し、公民による中心部への財の重点的投下が可能となるよう、市民・企業の合意形成及び自治体の首長・職員の意識変革を必要とする。都市計画の理念のみを追求する余り、過度の物理的な公共性が要求され、住民の小さな現状改善意欲が市街地再生に繋がらない事例も多い。地域住民の協働・共同のまちづくりを公共性のある都市計画として積極的に財政支援できるよう、行政や専門家が住民とともに実践・理論づけていくことが求められる。第二に、地域資源(人・物)の最大限活用のためのシステムを用意することである。改善意欲のある人々が、理解のない人の対応に翻弄され、本来の活動ができないことも多い。ねばり強く地域全体の合意を図る努力も必要であるが、一方で、意欲ある人々を結集、コミュニティビジネスなど新事業の展開拠点を短期に形成し、その効果をもって段階的な整備改善に繋げていくことも重要である。
 本格的な都市成熟の時代、機能がコンパクトに充実し豊かさが実感できる新しい市民共同体都市を構築するため、既に関わっている市街地の再生を主として新しい展開を実践できるよう、都市再開発分野における地域支援の経験を活かしていきたい。

新たな関係性としてのパートナーシップ

 NPOや住民グループが主体的にまちづくりにコミットするようになっている今日、住民参加ということは、もはや時代遅れの感がある。しかし、今だ多くの公共事業が住民不在で行われている状況下にあり、まだ暫くは、まちづくりの局面で重要なプロセスとなろう。
 日頃のコンサルテーションを通じて感じることは、今しばらくは行政と住民の「せめぎあい」が続くということだ。計画段階での住民参加では、意思決定のプロセスの中で、住民とのコミュニケーションを図ることとなる。それは、当然ながら、あらゆるコミュニケーションの前提となり、相互の信頼関係の構築を前提とする。もちろん行政と住民の間で、利害が対立する場面もあるだろう。そうした中で、相互の立場を理解し、よりよい結論を導き出すことが必要となる。
 こうして改めて住民と行政の関係性を見てみると、ポイントとなるのは、行政と住民との間の「距離感」である。行政と住民のスタンスの違いから、相互の距離が遠い所も多い。逆に、この距離がとても近い所もある。滋賀県の甲良町などは、私の経験の中でこの距離がとても近いと感じたまちである。
 甲良町は、グラウンドワークという手法において「東の三島 西の甲良」と言われるほど行政と住民のパートナーシップでまちづくりを行っている自治体である。町内の各集落では、自治会をベースとした従来の意思決定機関以外に「むらづくり委員会」というまちづくり組織がある。ここでの議論はリベラルだ。そして、親水空間など様々な事業が集落単位で行われている。
 行政と住民との関係で言えば、当初の動機付けは行政が行うものの、その後はむしろ住民が主体となり、行政がサポートする形である。そこには行政・住民という図式を感じることは少ない。そのことを包括してしまう「共同体の中の構成員のひとり」というくくりになっている。
 甲良町のグラウンドワークでは、計画段階のみならず事業段階でも住民主体である。それぞれが、共同体の中での役割を担っている。同じ目標に向かってこうして汗を流していることが相互の信頼関係を構築し、相互の距離を近くすることになる。
 確かに甲良町の場合では、村落共同体でのコミュニケーションパターンが下地になっているため、スムーズに展開できている面は否めない。しかし、こうした原理をシステム的に実施し、成果を上げているところもある。瀬戸市で行われている「住民参加のまちづくり」などは、行政のシステムの中でも、会合を重ね、事業を実施していくことで、徐々に信頼関係を構築し、距離を近くしていける可能性を示している。
 今日、住民参加と言えばワークショップが花盛りである。もちろん、参加のプログラムの中で有益な手法であることには違いない。しかし、そこにおいて信頼関係の構築がなければ、形式化する危険性も孕む。
 それ故に中途半端な住民参加方式は、凌駕され、行政と住民の関係もより緊密かつ親密なパートナーとしての関係性が求められてくるであろう。それは特段新しい時代を予兆するものではなく、むしろ、かつての共同体原理の再構築かも知れない。そして、その時、住民参加という言葉自体が陳腐化するであろう。
 こうした中で、我々の役割は何か。それは、単なるワークショップのファシリテイターではない。住民や行政と共通の土俵で悩みながら、オリジナルなコミュニケーション・スタイルを協働で確立していくことであろう。住民参加に関する限り、もはや机上のコンサルティングでは立ち行かなくなってきている。

成熟社会への構造転換を受け止める地域開発・都市開発

 高度経済成長が続いた昭和40年代まで、臨海や内陸で工業団地開発が行われ、同時に大量に流入する人口の受け皿として大規模ニュータウン(NT)が開発されてきた。大都市圏へ地方から大量に人口が流入してくる時代は昭和40年代で収束しているが、昭和50年代に入ると、東京を中心とする大都市過密解消のための受け皿として、筑波研究学園都市や港北NTなどの開発が行われ、これまでの「住」中心のNTから「住」と「働」の複合開発が展開された。 また、三全総の定住圏構想を受けて地方都市ではテクノポリス構想が展開された。既存の都市機能を活かしながら住・働・学・憩を圏域でワンセット整備していく構想であった。国土の均衡ある発展を目標として地域開発が行われてきたのである。
 しかし、今や日本が人口減少する時代を目前に迎えている。確かに人口が減少しても世帯数はしばらくの間増加を続けるし、現状住宅の不満層もまだ多いので、住宅需要がなくなることはないが、これまでのような大量供給の時代は去った。
 これまで産業重視から生活重視へ、さらに環境重視、交流重視の時代へと移行し、郊外型の地域開発から既成市街地内の構造再編へと重点は移ってきている。
 国際競争が激化する中で産業構造の転換は避けて通れず、それに伴い大規模な土地利用の転換が進んでいく。典型例は臨海部の工業地帯であろう。例えば自動車業界の世界的再編とリストラは名古屋にも影響を及ぼし、既存工場の縮小・閉鎖を招来する一方で、豊橋での外車メーカーの進出・集積が起こっている。従前の生産用地を埋める新たな機能を見いだせるかが問われることになろう。
 大都市の都心部も変化してくるであろう。都心型オフィスでは企業成長に伴う需要拡大圧力とテレワークや営業・管理部門の生産性向上に伴うマイナス圧力とのせめぎ合いが起こる。しかし、都心の持つ公共交通機関や各種公共施設の集積による立地の優位性が増し、いわば“都心の遊園地化”が進むと予想している。憩い、集い、賑わいなど、様々な交流の場として、都心機能は再編されていくであろう。
 我々スペーシアはこうした成熟社会への潮流を的確に把握し(評論家でなく)、都市構造・産業構造の再編への処方箋を積極的に提言、さらには関係機関への働きかけの中で、一歩でも実現に向けて行動しなければならないと考えている。
 例えば、内需の視点から、臨海工業地帯の空洞化に対処するため、包装・容器・家電等のリサイクルに向けた一大環境再生ゾーンにしてはどうか。環境負荷の大きかったゾーンが環境再生ゾーンに転換するのである。そのためには市民を巻き込み、行政の支援を受け、企業の収益性を確保して、社会システムを構築するまで取り組まなければならない。大テーマであるが、まず一歩から進んでいきたい。

住まいづくりからはじまるまちづくり

 90年代は住まいづくりがまちづくりの中で重要な課題としてとりあげられるようになった10年であるとともに、バブルとその崩壊によって住宅供給が迷走し、将来の住宅需要をめぐる考えも大きな転換期を迎えた10年であったといえよう。
 制度面では1994年の住宅マスタープランの創設が特筆できる。困窮者対策として公営住宅の供給が中心であった住宅施策の分野にまちづくりの視点が盛り込まれたといえる。特に、愛知県では重点施策として「環境と共生した住まいとまちづくりの推進」をあげ、そのための基本計画もとりまとめられた。中部自然住宅ネットワークや安住の会などの市民団体の活動も展開されており、この地域が住まいづくりの分野で大きな位置を占めつつあるといえよう。
 一方、住宅供給をめぐっては、90年代当初は年間170万戸もの住宅が建設されていたが、バブル崩壊によって大きく落ち込み、1998年度では年間110万戸台となった。
 景気対策として期待がかかる住宅建設であるが、一方で、阪神・淡路大震災の経験や地球環境問題を背景として高耐久性が課題としてあげられており、百年住宅がとりざたされている。住宅を経済の道具ではなく、住まい手の生活を保障するための器として、さらにまちを形成する重要な要素として取り戻すことが重要であろう。今後、人口減少社会を迎え、住宅の新規需要はなくなり、建替重要が中心となるが、住宅を長く利用すればするほど建設戸数が減少するのは必然である。これまでの大量住宅建設に対応した住宅供給体制をいかに転換していくか大きな課題となろう。
 まちづくりの分野では、住まいづくりの重要性がますます高まる。高齢社会の到来を迎え、介護保険が大きな課題となっているが、もっとも重要な視点は介護を必要とする高齢者を生み出さないということであり、高齢者の生活の中心となる住宅を見直すことが重要だ。キーワードとなるのが「共に住む」。住み慣れたまちで、いつまでもイキイキと暮らすことのできる場をつくろうという動きが活発だ。兵庫県のコレクティブ住宅をはじめ横浜の福祉マンションをつくる会や下宿屋バンクの取り組みなど興味深い。
 スペーシアではこれまで様々な住宅に関する業務に携わってきたが、今後とも一人ひとりの身近な住まいづくりを魅力的なまちづくりにつなげるよう自治体の計画づくりにおいて提案していくとともに、様々な団体や人々とともに具体的な住まいづくりの実践にも関わっていきたいと考えている。建築学会東海支部都市計画委員会住宅部会や愛知住まい・まちづくりコンサルタント協議会の活動もその一つとして捉えている。
 当地域は三大都市圏の中にあって居住環境がすぐれていることが特徴としてあげられるが、その利点を十分に生かしきってはいない。地域の資源を生かしながら、いかに魅力ある住まい・まちづくりをすすめるかが、この地域の将来の試金石になるのではないだろうか。

情報発信によるネットワーク形成〜インターネットを活用して〜

 この10年の変化の中で多くの人々が予想もしなかった大きな展開をみせたものの1つが携帯電話とインターネットの普及であろう。情報化という言葉は1960年代から時代のキーワードとして使われ、いささか陳腐化したところがあるが、90年代は個人レベルの情報化が進み、個人による情報発信が可能となったという点で大きな進展をみせた。ビジネスマンの利用から広まり、学生や女性にも広がりつつある。コンピュータがまちに飛び出し、そこから世界の人々と交信が可能となる。携帯電話の普及が待ち合わせの場所を電波の届かない地下街から地上に変えたという。人々のライフスタイルのみならず、まちの構造そのものを変えつつある。
 まちづくりにおいてもインターネットがそのあり方を変えようとしている。まちづくりを進める上で様々な情報を入手するとともに、情報発信することによってPRしていくことが重要であるが、インターネットを活用すれば簡単でかつコストもかかない。また、様々な意見交換のツールとしても重要だ。まちづくりに関する意見を自治体のホームページの中で募集し、それを公開することによって意見交換の場としているところが増えてきた。安住の会のようにメーリングリストを活用することによって、場所と時間に成約されない意見交換が可能となり、新たな展開を見せているところもある。
 さらに、インターネットがネットワーク形成につながることにも注目したい。NIFTYのフォーラムでの意見交換やメーリングリストに参加することによって新たなつながりが生まれたり、メール交換によって親密度が増したり…。卒業以来、音信のなかった学生時代の仲間ともメーリングリストができたおかげで旧交を温めることもできた。郵便よりも簡便で、電話よりも気兼ねなく、そして安価にできる通信手段によってネットワークの輪を広げることが可能となる。
 スペーシアでは、ネットワーク形成を方向性としてあげてきたが、さらに、これまで蓄積してきたネットワークを生かし、異質なもの同士を結びつけるようなネットワーカーとなることをめざしたいと考えている。そのための方策の一つとしてインターネットの利用を考えたい。将来的には、人材バンクのようなデータをストックし、人と人とを結びつけるようなこともできないかと模索しているところであるが、まずはその第一歩として、ホームページにスペーシアとのつながりのある人をリンクしたSPACIAリンク集を掲載したところである。さらに、十周年事業の一貫として、年一回発行のラバダブを補完し、即時性のある情報を提供する手段としてメールマガジンの発行を予定している。これを人と人との出会いの場ともしたいと考えている。送信を希望する方はぜひメールアドレスをお知らせいただくようお願いします。

コミュニティ・ビジネスの芽を中心市街地に

 「コミュニティ・ビジネス」という言葉が最近使われている。これは何かと言うと、地域の問題・課題を解決するために、歴史的な建築物や人材など地域固有の資源を活用しながら行うビジネスである。ビジネスであるということは、人・もの・金の動きが起きるということで、コミュニティ・ビジネスにおいては、その動きは主に地域内で循環することになる。
 黒壁の例からもわかるように、コミュニティ・ビジネスの展開は、すっかり元気をなくしてしまっている中心市街地の活性化と一緒に考えると相性がよい。全国にある中心市街地の多くが共通して抱えている問題は、商店街の衰退と空き店舗・空家・空地の増加、高齢化によるコミュニティの停滞や、かつての基幹産業の落ち込みなどであるが、これらの問題はほうっておけばますます深刻になっていくばかりである。地域の住民自身が動きだす以外に、まちの衰退に歯止めをかける方法はないのである。
 一方で、中心市街地は、蓄積された豊かな歴史・文化の上に成り立っているが故に地域固有のアイデンティティをしっかりと持っていること、停滞しているといっても地域コミュニティがまだ残っており住民同士の団結力があること、高齢化の進展・生活利便性の低下など地域の衰退からくる問題を改善するための取り組みが求められていることなど、コミュニティ・ビジネスを生み出すための様々な潜在的可能性を秘めている地域でもある。
 しかし、長年同じスタイルで店を営んできた商店主や、地域に対して受動的な関わり方しかしてこなかった住民達が、突然新しいビジネスを起こすことはできない。まちの衰退という危機感をバネに、まずは商店主や住民の起業家精神を育成し、起業のための情報提供や環境づくりにより、新規ビジネスが芽を出すのを応援する体制が必要である。そのためには地域活性化の中核となる人物・組織を発掘・ネットワーク化して進めることが効果的である。
 中心市街地におけるコミュニティ・ビジネスの育成に関し、スペーシアとしては、都市再開発の分野において構想の実現を進めているが、新たに可能性のありそうな地域にボランティアとして携わりながら活性化のための活動を展開する中で、人・もの・金の循環をつくりだし、コミュニティ・ビジネスの芽をみつけていきたいと思っている。これまで業務等を通して発見できた、瀬戸市や名古屋市の白壁地区、津島市などに内在する魅力的な要素をコミュニティ・ビジネスにつなげていけるよう、少しずつ手探りでノウハウを蓄積していくつもりである。


津島市で市民が借りた空き店舗。コミュニティ・ビジネスの拠点となるか

都市にも農村にもリカレント教育の場を

 現在日本は成熟社会を迎えつつある。21世紀初頭に日本の人口は減少を迎えるも、都市化の時代が続くと言われている。高学歴高齢者が急増し、自由時間も拡大する。手段としての情報通信技術が飛躍的に発展する。このような流れの中で21世紀のライフスタイル像をいかに描くのかが問われている。
 人生90年を生涯現役としていきいきとした生活を送るには、常に「人生推進力」をつけて
いかねばならない。
 成熟社会において求められるのは、財力だけでなく、知力・体力の貯蓄である。
 広い意味で言うならば、モノと自由時間をいかに消費するかということであろう。イギリスの「ジェントルマン的消費文化」(余暇時間を人間性向上のために有意義に活用する)、アメリカの大衆消費文化(だれもが安く消費を享受できる)に対するアジア的生活文化(文化と経済の一体化)を見出す必要がある。
 「知の塔」である大学は18歳人口が減少し続ける中で、経営的に新たな入学者を確保する必要に迫られている。そのため、社会人教育や生涯教育の分野が注目されている。しかし、1980年代に郊外へ移転し、勤労者が通学するには立地が遠くなってしまった。
 都心の地価がバブル経済前に落ち着きつつあり、再び都心等は魅力ある地域に変貌しつつある。いや、むしろ中小都市の中心市街地は空洞化が進み、活力の低下が懸念されている。他方、農業も従事者の高齢化等から、都市近郊の遊休農地の拡大が、地域の土地利用の空洞化を生むことになる。このような状況の中で、高度な専門性を身につけるビジネススクールやロースクール(大都市都心型)、産業構造再編にともなう人材育成機関や手に職をつける、あるいは高度な趣味をもつための工芸大学(中心市街地型)、住民の健康増進につながり、農業を担う全く新しい層を育成するための農業市民大学(郊外型)などの展開は、新たな都市機能として時代の要請にマッチしている。
 このようなリカレント教育の機能をまちづくりの中に取り込んでいくことが私たちスペーシアの役割であると考えている。白壁アカデミアやその延長上に構想する大学院村の展開は、閑静な住宅地における近代建築群を活用・保全するまちづくりと連動させて取り組む実践事例であろう。商店街の空き店舗を活用した商業大学があってもいいだろう。遊休農地と利用効率の悪い公益的施設を使っての農業市民大学があってもよい。その実現に向けて、展開の場の確保と調整、実現の動機づけとなる資金の調達、関係者の調整など課題は多いが、時代の潮流にのったやりがいのある分野である。
 ずれにせよ、いかに住民の知力と体力を蓄えるのか、またそのための場をいかに確保するのか、といった都市の取り組みこそ、今後の活力を生み出す源泉になっていく。

時代の予兆としてのツーリズムの多様性

 昨今、どこの自治体でも重要視しているのが交流である。しかし、「交流」という概念は曖昧模糊としていて、実につかみどころがない。この言葉が定着してきた背景には、従来の「観光」という概念が、本来の意味するところとは異なり、特に、地域側からすれば、単なる消費地としての消極的な位置に甘んじていることがあるのかも知れない。傍若無人で地域を消費する無神経な輩、彼らに迎合する商魂たくましい商業資本、残されたごみ処理など地域の住民側からすれば、観光に対する肯定的な側面を見出すことが難しい。これは国内に限らず、海外から揶揄され嫌悪される日本人観光客にも通じることであろう。そこにおいてイメージされる観光スタイルを否定するものではないが、観光を通じて得ようとするものの本質が時代とともに変化しているのであろう。
 江戸時代の講の伝統から、旅そのものが共同体を代表して参加するスタイルはつい最近まで健在であった。今日でも、集落単位で積み立てして団体旅行に出かける地域も珍しくない。しかし、共同体崩壊過程と歩調を合わせるように、個人的にあるいは友達同士で出かける旅行にシフトしている。そして、「私だけが知っている」一連の秘湯ブームに代表されるオリジナル性の追求、敢えて時間をかけて旅する「寝台列車ブーム」のような自己演出など観光スタイルはますますオールタナティブな状況を呈している。
 一方、受け入れる地域側としても、観光の持つ新たな価値に着目するようになってきた。それは、もちろん前述したようなネガティブな面ではなく、地域にとって観光客を招き入れることの価値が再認識されてきたからであろう。一言で言えば「消費客体から交流主体」へと転換したということであろう。
 よく使われた言葉に「癒し」という言葉に代表されるように、疲れた観光客を癒すことで、実はもてなす側も癒されるということである。それこそが「交流」の本質であろう。つまり、癒し・癒される関係を地域というフィールドにおいて構築していくことである。そこには、従来のような虚構はいらない。虚構を虚構として捉え、消費していくことで満足するテーマパーク型の観光スタイルとは対極にある徹底したリアリティの追求である。ローカルな暮らしの息遣いを体感することで味わうメンタルな充足感を、そこで暮らす人々と共有することができる喜びである。
 ここ数年、特に農業を体感する「グリーンツーリズム」が盛んだ。それは、地域固有の価値つまり、地域の生活文化が受け継がれていることを必要条件とし、そのことがごく自然に暮らしに息づいていることを十分条件として成り立つものであろう。もちろんツーリズムは、地域固有の資源によって、当然変化してくる。農業や農あるライフスタイルを前提とするグリーンツーリズムがあれは、やきもの産地や窯のあるライフスタイルを前提とするブラウンツーリズムがあっても言い。要するに、そこにある有形・無形の固有の資源を活用し、地域において「癒し・癒される関係」を構築していくことなのだ。
 今後は、我々のコンサルティングスタイルも地域資源の編集していくエディトリアルな視点と、相互の関係性を構築するというリフレクシブな視点を兼ね備えた、地域発のエージェントとしての方向を模索していくことが必要となろう。

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