視察レポート
Report
年度明けに久しぶりの休暇をとって東北の旅を楽しんだ。三陸鉄道リアス線を利用してみたいと思っていたことと東北大震災の復興後のまちがどのように変わったのかを見てみたいというのが大きな動機である。当初新幹線での往復を予定していたが、3月の地震で一部運休となり、仙台までは夜行バス、石巻、女川、南三陸、気仙沼、陸前高田、釜石、宮古、久慈、八戸、青森までは鉄道とBRT、青森からはFDAと多様な交通機関を利用する旅となった。その中で感じたことを列挙してみたい。
1)震災遺構
各地に震災遺構として象徴的な建物が保存されている。庁舎や学校、交番といった公共施設のみならず、民間が残しているものもある。被害が著しかった地域であることから周囲は震災復興祈念公園などとして整備されていたり、人が居住しないところにポツンと存在している感じだ。
石巻の門脇小学校は4月に公開されたばかりで展示も充実していた。2000年以降に起きた地震の規模を震源ごとに投影するプロジェクションマッピングには、頻発する地震の多さに見入ってしまった。これはぜひネットで公開し、多くの人に見てもらいたいものだ。
民間震災遺構である南三陸町の高野会館は高齢者芸能発表会に来ていた人をはじめ327人全員が4階以上に避難することで助かったことが記録されている。民間企業にとって誇らしい資産ということだろう。
一方で、多数の死者が発生した旧南三陸町庁舎については震災復興祈念公園内に現存しているものの2031.3.10まで県有化されており、南三陸町はこの間に震災遺構としての保存の是非について検討していくという。遺族にとって辛い記録を呼び起こす遺構の保存の決定には時間が必要ということだろう。
2)復興祈念公園
震災や津波からの復興を祈念する公園も各地に作られている。今後も予想される津波被害を防ぐためには大きな被害があったところを居住地とするわけにはいかず、広大な公園とするしかないというのも理由だろう。
圧巻なのは陸前高田の高田松原津波復興祈念公園だ。面積約130ha。BRTの奇跡の一本松駅で下車。他に下車する観光客がいなかったのは意外だったが、道の駅がありほとんどが車で来訪しているようだ。モニュメントとして保存された奇跡の一本発をはじめ5つの震災遺構があり、国営追悼・記念施設として祈りの軸や献花の場などが整備されている。東日本大震災津波伝承館いわてTSUNAMIメモリアルも見逃せない施設だ。展示内容が岩手県のことに限られているのは気になったが、国としては3県にそれぞれ追悼施設として作っているので3つをあわせて知ってほしいということなのだろうか。
3)巨大防潮堤
建築ジャーナルが巨大防潮堤図鑑として2度にわたって特集をしていたのが気になり、公共交通で訪問できるいくつかを巡ってみた。そびえたつような直壁、ピラミッドのような堤、巨大なV字谷の河川。無機質なコンクリートが電車の車窓からも見える。せめて陸側はみどりで覆うということができなかったのだろうか。
大谷海岸では、当初砂浜のところに防潮堤をつくる計画だったものを住民との話し合いで、堤防の計画高さにあわせて内陸部を盛土し、国道と一体的に道の駅などを整備することに計画変更したという。そのおかげで、陸側からは目を遮るものはなく海が見渡せるものの、砂浜への傾斜部がコンクリートの巨大な階段となっているのは仕方ないということなのだろうか。
4)まちと海との関係
釜石では海とまちが完全に切り離されており、海辺でくつろぐという場がないのには驚いた。宮古では、海辺にあった市役所の跡地が公園となっているが、そこからは海を眺めることができない。
それに対して気仙沼では区画整理で盛土し、公共施設と商業施設を海側に設け、海を眺めることのできる場とするとともに、海側ののり面を緑化していた。防潮堤が作られている部分もあるが、地元との協議で低く抑えられたという。
女川は「防潮堤のないまち」として復興まちづくりの成功例と呼ばれている。市街地の大半が被災したため226haもの区画整理により、湾口に防潮堤機能を持たせた国道を整備するとともに広大な盛土を行い、津波浸水区域では一定の条件をクリアした建物でなれけば居住できないエリアとしている。女川は石巻、気仙沼とともに東北大震災の2ヶ月後に訪問し、その甚大な被害を肌で感じていただけに、こんな形で復興が進んでいることを喜ばしく感じた
5)BRT「Bus Rapid Transit」(バス高速輸送システム)
柳津駅(宮城県登米市)から盛駅(岩手県大船渡市)はBRTが運行されている。元の鉄道敷を走る部分と市街地を走る部分がある。震災被害が大きかったことから鉄道としては復旧されなかったわけだが、マナカも使えて便利で、鉄道敷を運行する部分は信号もなく快適である。
しかし、駅周辺の家屋がなくなり、まちと切り離されてしまったところもある。陸前小泉駅では高台の住宅地までの階段を作ってほしかった。住民は利用しないということなのだろうか。
6)最後に
宮古では海岸沿いにあった市役所が被災で駅直近に移転し、市民交流センター、保健センターとの複合施設として作られていた。
石巻市役所も駅近くにあったが、それは大型商業施設の撤退した後を市役所として利用しているからで、1階はスーパーが入っており便利だ。東海地域ではこのような事例はないように思うが、東北では気仙沼市役所や青森市役所も商業施設が転用されていた。東北での流行りなのかと感じた次第である。
参考URL
災禍の記憶、未来に 「震災遺構 門脇小」整う 4月開館(川北新報)
宮城県女川町/新しいスタートが世界一生まれる町へ(全国町村会)
ここに掲載されている航空写真をみると「防潮堤のないまち」であることがよくわかる
気仙沼線BRT・大船渡線BRT(バス高速輸送システム)(JR東日本)