スペーシアレポート

名古屋の魅力を考える

井澤 知旦

最近名古屋は元気だという雑誌記事を目にする。日経ビジネスも「踊る大名古屋」の特集を組んだ(2003.11.17)。これまでも、不景気になると名古屋の無借金経営・堅実経営を持ち上げ、好景気になると名古屋モンロー主義と貶め、毀誉褒貶きよほうへんを繰り返してきた。

名古屋のイメージ変遷

これまでの名古屋のイメージは、明治以降でみると次のような変遷を辿ってきた。産業都市化を押し進め、独自の自給的経済圏を形成するなかで、排他的・閉鎖的という評価を受ける。利殖も株でなく、賃貸住宅経営や貯金によるほど地道であった。軍需産業都市であった名古屋は大々的に罹災したが、すぐさま戦災復興に取り組み、1950年代には理想都市・青年都市との好評価を受ける。60年代は工業都市のイメージが定着し、焼け野が原から復興途上にある姿をさして「偉大なる田舎」から「白い街名古屋」へと表現を変えていった。明治以降続いていた「名古屋美人論」もこの年代で消滅する。70年代は高度経済成長のなかで名古屋も工業化で発展して行く。80年代になると一転する。タモリによる名古屋パロディ化やオリンピック誘致の失敗(81)、清水義範氏の「蕎麦ときしめん」(84)と揶揄記事が多くなる。しかし、90年代に入るとデザイン博(89)効果で街が美しくなったと評価を得、同時に「名古屋飛ばし」が話題となる。
 このように名古屋は、メディアの中心・東京のモノサシで測って、無視し得ない、気になる存在であった。
 21世紀に入った今日、冒頭にあるように「名古屋は元気」が流布している。ものづくりに徹し、その精神が、不断の努力とバブルには大きく踊らずに地道に富を蓄積することに繋がっている。そして、新空港や愛知万博、名古屋駅前再開発などのプロジェクトが進み、景気を支えている。他方、非日常の「派手婚」に加えて日常の「名古屋買い」(豪勢にブランド品を購買する)個人消費も、資産のなせる技である。今や名古屋は名古屋城だけでなく名古屋嬢でも持っているのである。

名古屋の魅力とは

このようなイメージの変遷を辿った名古屋であるが、それでは本題の魅力とは何か。名古屋市は大都市であり、名古屋圏は千百万人を超える大都市圏であるので、魅力は一つに絞り切れず、総花的にならざるを得ない。他にはない、他と比べて特化しているものが人々を刺激し、生活の質を変えていけそうなものに人々は魅せられ惹きつけられる。ここでは《世界ブランドのものづくり》《世界に冠たるまちづくり》《名古屋アイデンティティのくらしづくり》の三つをあげたい。
 第一は言うまでもなく、これまで、そしてこれからもこの名古屋を牽引して行くであろうものづくりである。常に世界をリードしていく技術革新と生産技術、またブラックボックス化されやすい生産現場の産業観光化である。第二は名古屋城とその町割、それを基盤とする戦災復興事業により創り出された公共空間豊かなまちづくりである。そのシンボルは、唯一復元可能な大規模な名城である名古屋城と100m道路であろう。第三はつくり出されたものが地域の生活に溶け込み、また食されるくらしづくりであろう。食は地域文化を色濃く反映し、地域のブランド化に貢献する。酢、味噌、醤油などの調味素材品、ひつまぶし、手羽先、天むす、きしめんなどの素材加工品は健康食、大衆食、環境食(端材の有効利用)につながり、21世紀の食文化をリードしていきたいものである。

名古屋は鏡餅・東京はフルーツパフェり

名古屋鏡餅論と東京フルーツパフェ論
名古屋鏡餅論と東京フルーツパフェ論
*本論は、(財)名古屋都市センター「名古屋の地域特性に関する比較調査研究」2003.3に関わる機会を得、その成果をもとに考察した。
最後に、名古屋と東京の魅力について比喩してみよう。
 名古屋の魅力は(正月にふさわしく)「鏡餅」に喩えられる。台はまちづくり、鏡餅はものづくり、橙はくらしづくりである。派手さはないが、安定していて存在感がある。堅くなってもカビが生えても腹をこわさず何とか食いつなげる。他方、東京はフルーツパフェである。暮らしは色とりどりで目映く、金融や情報・政治は鮮度が重要となる。ガラス容器は美しい。しかし、どこか脆さを感じさせる(倒れやすい、割れやすい)し、鮮度が重要なだけに腐りやすく、食あたりは怖い。とはいっても、若者にとってはフルーツパフェに惹かれるのも否めない。
 名古屋は名古屋独自の魅力を構築すべきであろう。安心・安全・安定した持続的発展可能な都市づくりこそ名古屋の魅力になりうる。どうしても、フルーツパフェが欲しいなら、モーニングサービスでミニパフェを付ける手もある。

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