対談「この街はコンテンツで無限に面白くなっていく」

 岡田 邦彦さん × 井澤 知旦

井澤 岡田さんとの出会いのきっかけは『よみがえるダウンタウン』という本の翻訳作業でしたね。この本は1989年に米国で出版されました。戦後から1980年代までの衰退した米国の諸都市の都心をテーマにしていますが、すでにアメリカでは都市再生という言葉が使われています。今、日本では、少子高齢化、経済・社会の構造改革、IT不況、またデフレの真っ直中で大都市やその都心をターゲットとして都市再生を図り、民間投資の誘発や土地の流動化によって活性化していこうとしています。そういった環境の中で都心を考えるのはいい時期だろうと思いますし、また、同時に名古屋の都心と周辺都市も見ていかなければいけないでしょう。
名古屋の都心をおおむね名駅から栄の範囲とした場合、名古屋の都心をどのように評価し、今後どのように推移するとお考えですか?

名古屋都心と周辺都市の中心市街地の役割を見る

岡田 名古屋はまだ恵まれていると思います。人口は五ケ月連続で最高を更新しています。ただ都市生活者の暮らしかた、すなわちライフスタイルは変わってきましたね。百貨店はここ十年くらい苦しんできました。その理由は、消費が多様化しているのに百貨店はどこも同じで、画一化してきたからです。これからは地域ごとのオリジナリティを出していくことが必要になってくるでしょう。
先日、松坂屋が豊田そごうの後に出店しましたが、従来型の百貨店ではありません。違いを出したのです。家具、呉服、美術はないカジュアル型店舗です。その結果、大方の予想に反して紳士服や子供服が売れています。また、食品に対する支持率が非常に高い。
地域の消費をリードしている団塊の世代とそのジュニアはカジュアルライフを求めているという予想で店作りをしました。地域の消費者が求めるものにピタッとあっていたのが好調の理由です。
小売業の人間はよく「商売の秘訣は売れ筋商品の確保だ」と言いますが、売れている商品を確保して並べておけば売れる時代ではありません。自分の店はこういうモノを売るんだという売り筋を持っていないといけない。「売れ筋」ではなく、他にはないうちでの「売り筋」というのがあればお客さんはついてくると思います。

井澤 栄の松坂屋全体を「百貨店」とするなら、豊田店は「何貨店」くらいですか?

岡田 実際は六十〜七十かと思いますが、今、衣料品の占める割合が高いので、「八十貨店」くらいにしておきましょうか。(笑)

井澤 名古屋の都心は名古屋圏全体の都心だと思います。一極が栄えて多極が滅びる構図は得策ではないと思います。
これまで、多極である周辺都市はミニ名古屋都心を目指し、成長していけば百貨店を揃えられる購買力が生まれるという発想で、店舗誘致をしてきました。しかし、そうはならず、百貨店などが相次いで撤退していきました。今後は、一極が多極にサービスを提供しつつ、多極は地域の資源を活用した特色ある都心作りをしていく、地域密着というのが重要になりますね。

岡田 そのとおりです。十数年前に四日市の行政から、都市型百貨店をと言われた時のことですが、私は四日市の出身で、地元に家具屋さんはいっぱいあることをよく知っていましたので、家具をおく必要はないと答えました。同じように豊田では自分で料理をされる人が多いので惣菜を無理しておく必要はない。地域性というものがあるのです。これまで総合的品揃えで店舗展開をしたのが百貨店です。百貨店にはないものはないというのが拠り所だったのですが、それが出来るのは大都市に限られます。そのため、地方都市の再生は個性やオリジナリティを強調することが必要になってくるでしょう。

街は生きもの、フレキシブルな対応が求められる

井澤 南大津通は、最近、明確な動きを示していますね。

岡田 そうですね。今、栄地区の動きを見ると、まずルイヴィトンが変わったところに店舗を置きました。あれは公園の整備を踏まえてのことでしょう。ガスビルの横のプラダ、工事中のミキモト、GAPが出来たりという形で、南大津通はブランドショップの立地としては面白いという認識が出始めています。
今、私どもも南大津通側で南館の増床を始めています。過大投資ではないかと言う経済記者もいますが、街並み整備をきちんとしたいというのは長い間の願いでした。バブルが弾けて堅実な考えに立たれた地権者と合意ができたからです。しかし、建物を建てるのに二年もかかる。二年先に消費者に支持される店づくりを読まなければなりません。豊田店は150日で作りました。街は「生き物」です。ストリートがどう変化していくかを読んでフレキシブルに対応できなければいけません。スーパーブランドが増築した場所を貸してほしいということがあるかもしれません。相乗効果がある場合はその可能性もあります。しかし、二年先のことを読むのは、現実には難しいことですよ。

名古屋都心、名駅と栄は二十一世紀に残れるか

井澤 いくつもの鉄道路線が結節する名駅、豊かな公共空間と本社機能や百貨店等が集積する栄。名古屋の都心は二つの性格の異なるコアから成り立っています。最近、一つの都市のような超高層ビルが完成したり、別のビルが計画されたり、今、名駅が注目されていますが。

岡田 栄と名古屋駅の違う点は、施設と街との繋がりかたでしょう。
栄は街としての広がりを、大須まで含めて持っている。だからこそ、名古屋の中心的市街地といえるのでしょう。名古屋駅地区は巨大施設の街ですが、栄地区は長期的にエネルギーを生み出していける街だろうと思います。

井澤 名駅は機能的な立体的二十世紀型の都市。栄は面的な広がりのある街です。久屋大通公園や栄公園などヒューマンな潤いのある空間もあるし、名駅地区との対比が描けるでしょうね。そう考えると、これから二十一世紀の人々が求める空間はどうなるのでしょうか。場面、場面で両方必要なのでしょうが…。

岡田 一言でいえばファーストフードに対するスローフード、スローカルチャーです。セカセカと働き通してきた二十世紀に対して、もっと時間をかけて生活を楽しみたい、という欲求が出ていると思います。ミヒャエル・エンデが童話『モモ』で批判したような時間泥棒に追いかけられる生活をやめて、人間らしい時間を取り戻したいということです。「ゆっくりは素晴らしい(Slow is beautiful)」が時代の言葉になりつつある。そういった意味で、効率的で立体的な超高層の街は前世紀的なニュアンスですね。反対に栄地区はスローカルチャーの街ではないかと思っています。

井澤 百貨店が、そのスローカルチャーのシンボルと言うことですね?

岡田 そう、この街はだんだん面白くなっていくでしょう

産業インキュベータとしての都心

井澤 松坂屋は2011年で400周年ですよね。戦前からお中元、お歳暮は松坂屋でないとという土地柄があって固定客もつかまえておられると思います。ただ、栄南は若者が集まってきているのですが、若者の引き留め方、若者をさらにこの地域に引っ張ってくるという発想は持たれているのですか?

岡田 ええ、現に南館は若者寄りにしています。中を見ていただくと判ると思います。

井澤 東京のラフォーレではクリエイターを育てていくという機能があるようですが。

岡田 私はそれはとても必要だと思っています。
百貨店としてではなく、一市民として言うならば、大須アメ横やナディアのデザインセンター、市美術館、商工会議所で行われたアニメーションフェスティバル、吉本栄三丁目劇場、パルコの映画館などが、刺激的ですね。

井澤 今、若宮大通を上手く使いたいというプロジェクトを考えているのです。久屋大通はテレビ塔や戦災復興モニュメント、その横にはデパートがあってシンボル的に活用している。でも若宮大通は、100m道路が街を分断しているというイメージしかありません。東の拠点でサッポロビール工場跡地が、西の拠点で笹島が、開発されるのを契機に、両拠点を繋いでいくということが必要ではないかと思っているのですが。

岡田 我々も松坂屋の横にランの館が出来たことをシンボル的にとらえています。実は、昨年「松蘭」という日本酒をオリジナルで出したら、人気があったので継続したところなんです。

井澤 包装紙に使われているカトレアも蘭の仲間ですよね?カトレアもそこから取ったのですか?

岡田 それはよく分からないのですが、松坂屋の創始者は織田信長の家来、伊藤蘭丸です。その子孫が江戸の松坂屋を買収した。さらに六世紀の中国の「千字文」という詩の中に「松の如く盛ん、蘭に似て香り高い」という句がある。松と蘭は深い因縁があるのではないかというストーリーをつけてみました。「ストリート」には「ストーリー」がなくてはいけませんからね(笑)。

井澤 その流れの中で若宮大通を考えると松坂屋の配送センターを使って若者のクリエーター、産業のインキュベーターの仕掛け作りをやれたら面白いですね。投資をすると大変なので、建物をそのまま使って何か新しい産業を興せば楽しいのではないでしょうか。
ところでさくらアパートメントは行かれましたか?

岡田 はい、行きました。旧さくらや旅館の中をいろいろブティックにしたものですね?

井澤 そうです。上の方に行くと家賃が安くて普通のマンションメーカーの人達も出店出来るというものです。あの試みでどの程度、次のファッション界をリードする人が生まれるのかは分かりませんが、ああいった仕掛けによって、若者が集まるがゆえに生まれる迫力や活力で周りが変わっていけば、非常に面白い街が出来るのではないかと思います。

岡田 可能性は色々ありますよ。新栄学区はコリアンコンビニが出来たり、エスニックなカラーが出来ています。真の意味でのグローバル化、共生・交流を考えたら、そこにいる人達に良い街を作ろうよ、協力してほしいと輪の中に入れる必要が判るはずです。そうなれば、広い意味では住みよい街に繋がってくるでしょう。

エンターテイメントが都心を変えていく

井澤 最後に名駅、栄のどちらでもいいのですが、これからさらに県内外から人を呼び込むために必要な空間、また、街づくりに次の時代に何が求められているか、どうお考えですか?
例えば広い歩道を活用してオープンカフェのように、そこで憩いや語らいなど多目的に使ってこそ街の賑わいが生まれるのだと思うのです。もっとストックを使いこなすことが重要なテーマかと思いますし、情報発信力のあるイベントをやることも必要になってくるのかもしれない。例えばテレビ塔をツリーにするなど、四季折々の表情を創り出す景観素材として有効活用しようということもあっても良いですよね。

岡田 それは街の持っている資源を、インフラも含めてどう活用していくかというコンテンツの問題ですね。
ウェザーニュースの石橋社長の話を聞いたのですが、マレーシアは毎日雨が降る。そういった国で天気予報が売れるとは思わなかったのだが、テレビ局に天気ニュースを売り込んだら、そこに出てくる音楽とアニメが楽しく、子供が喜んで毎日見ているそうです。我々には天気予報が当たるかどうかに価値を置くのだけれど、それ自体が楽しいか楽しくないのかというコンテンツもある。天気予報というのは洗濯指数などいろんな指数を作って天気予報をエンターテイメント化しているのですね。
街がそういったコンテンツでイキイキしてくるということが非常に大事ですね。モノ作りのメッカといわれる名古屋ですが、それに加えコト作りをやったら、楽しい街が無限に広がっていくでしょう。

井澤 エンターテイメントに刺激されて、想像力が湧いてくるような都心づくりが求められていますよね。

岡田 エンターテイメントにもUSJやTDLのようなエキサイティングなものもあれば、「ノリタケの森」のような憩いや癒しのようなものもある。マズローの欲求段階説の自己実現段階では多様なものが求められ、個性の強いものがあればそれに賛同する人は距離を超えてやってくるでしょう。エンターテイメントは情報発信力が強い。
 今日の日本は、パンドラの箱を開けた状況ですが、その箱の底にある希望をもってまちづくりをすすめていくことが必要です。変化(Change)の時代はチャンス(Chance)の時代ですから。

井澤
 今日はどうもありがとうございました。

岡田 邦彦さん プロフィール
松坂屋取締役社長

1935年生まれ。名古屋大学経済学部を1958年に卒業後、松坂屋に入社。ロサンゼルス店の立ち上げに参画、同店副社長を務める。1999年に常務から一気に社長に就任し話題となる。
多趣味な方で俳句やモダジャズの愛好家、また読書家としても知られています。対談中も幅広い本の話が飛び交います。笑顔の柔らかい大変立派な方でした。

目次に戻る