特集 名古屋の都心考

名古屋の都心をめぐる現状と動向

石田富男

名古屋の都心とは

 名古屋で都心というとどの範囲がイメージされるだろうか。栄や名駅が都心に入ることは間違いないとしてどこまでの範囲を都心とイメージするかは人それぞれだろう。名古屋市の新世紀計画2010では名古屋駅周辺地区から栄地区を中心とする地区を都心核と呼ぶとともに、その外側に都心域という区域を設定している。この範囲は明確には示されていないが、この前の計画である名古屋新基本計画では「おおむね新出来町線及び東海道線・中央線で囲まれる区域」と定義している。一般的にはこの範囲が「都心」として認知されているといってよいだろう。面積では概ね1500haである。
 東京の場合も都心の定義は明確でなく、都心3区、都心8区、都心10区など様々な定義があるようだが、1997年4月の区部中心部整備指針では都心と都心周辺部をあわせて都心部とし、その範囲を「北・西側は外堀通り・神田川、東側は隅田川、南側は外苑東通りで区分される地区」としている。その面積は2354haである。これに比べると名古屋の都心は6割の規模だ。

三大都市圏の比較

 名古屋は東京、大阪とともに三大都市圏の一つといわれているが、その集積度合いかみるとかなりの格差がある。国勢調査による大都市圏の範囲で比較してみると、名古屋(中京大都市圏)は東京(京浜葉大都市圏)の面積では1/2、人口では1/4しかない。この人口集積の差が端的に表れているのが通勤時間の差である。60分以上のものが東京(京浜葉大都市圏)は4割以上と名古屋(中京大都市圏)の倍以上となっている。国勢調査では従業地での通勤時間がわかる。古いデータ(1990年)しかないのが残念だが、名古屋市中区で従業・通学する人の平均通勤時間は46分であるのに対し、東京都千代田区では1時間3分であり、東京圏においては通勤問題が大きな課題となっていることがわかる。

都心の人口動向

 

近年、都心部でのマンション供給が盛んになり、「都心回帰」が話題となっている。名古屋市の都心(ここでは中区のデータをみる)においても1997年以降、人口が増加している。名古屋市の人口はバブルが市内での住宅取得を困難にし、市外に転出したことによって一時人口が減少したが、中区と同様、1997年以降、増加に転じている。都心に人口が戻ってきたことが名古屋市の人口増加につながっているといえる。
いったいどんな人が増えたのか。高齢者が都心の利便性を求めて、郊外から転入しているのではないか、という指摘がある。いくつかの実例はあるが、統計上はその動きは主流ではない。転入率で大きく増えたのは20〜39歳の若年層であり、さらに15〜24歳の転出率が下がったことによって、15〜24歳の人口が急増している。都心が若者のまちとしての性格を強くしてきている。
また、人口移動から都心の特徴が浮かびあがってくる。名古屋市全体では、市外への転出が減少する一方、区内での移動が増加しており、人口移動が狭域化しているとみられるのに対して、中区では市外からの転入が急増しており、広域から人が移動してきている。「わかもの」と「よそもの」が都心の動向のキーワードといえそうだ。

都心をめぐる動き

 都心には多くの人が集まり、その集客を期待し、様々な施設が立地する。かつては四Mとよばれる百貨店が点として存在していたにすぎなかったが、東急ハンズやパルコのオープンにより、線となり、ナディアパークのオープンが栄南という言葉も生み、面へと広がりを見せている。セントラルタワーズのオープンは名駅のイメージも大きく変えた。
 今、都心のスポットとして注目できるのはナディアパークから大須一帯である。かつての旅館を改築しクリエーターズマーケットとした「さくらアパートメント」をはじめ、インディーズショップが増えている。大須をはじめ、アジア系の店舗も増え、猥雑で不思議な魅力のある空間が形成されつつある。納屋橋地区も堀川に新桟橋ができたり、これまで堀川に背を向けていた店が堀川に向き合うように改築されたり、歴史的建築物の保存活用もすすめられようとしており、注目のスポットだ。
 今後、既存のビルの更新時期を迎えるにあたり、名古屋駅前をはじめとして再開発計画が目白押しである。魅力ある空間として、名古屋の都心がその求心力を高めることを期待したい。

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