視察レポート
Report
ヘキサゴンが並ぶ街 ヴィルヘンシア
ジプシーとは、ヨーロッパを中心に各地に移動しながら暮らす民族で、現在は多くが定住している。女性は占いなどで生活をたて、各地で差別を受けた。彼らは特有の音楽・舞踊の伝統をもつ。
2月にスペイン・バルセロナのランブラス通りにある美術館で、「ジプシーの都市計画」というユダヤ系ハンガリー人の写真家モホリ=ナジ・ラースローによって撮影されたヨーロッパのジプシーの都市設計図や彼らの歩みに関する展示をやっていたので見に行った。
いくつかの不思議な形をしたジプシーの街並みが写真に収められていた。その中で、奇妙と感じたものは、スペインのグラナダで撮影された六角形の形をした家が並ぶ街だ。
これらの家は、UVAという建築組織がプレハブ住宅の技術進歩のために建てた。UVAは1965年にモジュラーライト構造を開発した。「モジュラー」とは、「連鎖する」を意味し、「ライト」は「軽い」という意味である。10ヵ月で916世帯分を建設した。1962年、激しい豪雨による洪水で、ジプシーが住んでいた洞窟が100ほど水没した。住宅施設の不足が問題になり、ちょうどUVAがいかにコンパクトに住宅を建てるか研究していたこともあって、グラナダに建てられたのだと思う。一世帯あたり共有パティオを含んで37.50㎡あり、六角形にする事で、集約と減算を可能にした。イメージとしては簡単に、まとめたり、減らしたり、増やしたりできるという事らしい。住宅は、リビングとキッチン、トイレ・風呂、3つの寝室があり、夏は蒸し暑く、冬はとてつもなく寒かったと言われている。街は通称「ヴィルヘンシア」と呼ばれていた。
1982年に再開発により、ヴィルヘンシアは無くなり、ヴィルヘンシアに住んでいた住民は別のところへ移転した。ヴィルヘンシアが無くなったあとも、ヴィルヘンシア時代のコミュニティが残っていたため、ご近所づきあいも移転と共にそのまま引き継がれた。人々の間には集団意識が根ばえ、移転先の建物のメンテナンスや階段の掃除を管理していた。しかし、住民の中には、違法に部屋を売り飛ばす人もいたため、5年後の1987年には、1962年の洪水に見舞われた家族のうち、残っていたのはわずか10%だった。ヴィルヘンシアの方が良かったという住人もいたらしい。
この展示を見た時は、外国語力が解説パネルを理解するほどのレベルに達していなかったため、さまざまな都市の形を写真を通して楽しんでいたが、今回記事を作成するにあたり、パネルの解読と調べていくうちにジプシーの壮絶な人生や、モホリ=ナジ・ラースローとル・コルビジュエの関係性を知ることができ、楽しかった。
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