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1300年の歴史がある長良川鵜飼/岐阜市

 先日、愛知住まい・まちづくりコンサルタント協議会の若手部会(通称:愛知まちコンU-34)で岐阜市の長良川鵜飼の見学会を行った。長良川鵜飼は、史料から少なくとも西暦702年以上前から行われていた伝統的な漁法であることがわかっており、毎年5月中旬から10月中旬の間実施され岐阜の夏の風物詩となっている。見学会の参加者のほとんどが鵜飼初体験で、私自信もはじめてであったため、この機会に長良川鵜飼について調べてみた。
 これまで長良川鵜飼が守られてきた経緯としては、時の権力者の力が大きいとされており、織田信長が「鵜匠」という地位を与え、徳川家康はたびたび岐阜を訪れて鵜飼を見物し、鮎鮨を食べ非常に気に入ったという話がある。その後、鵜匠は幕府直轄となり、鮎は将軍家へ献上されたという。明治維新後は徐々に鵜匠の数が減り、明治23年からは宮内庁に属し、皇室御用の御料鵜匠として現在まで受け継がれている。現在、鵜飼は全国13カ所で行われているが、宮内庁に属する御料鵜匠は長良川鵜飼のみ(岐阜市に6名、関市に3名)で、御料鵜匠は世襲制で代々長男が継ぐのだそう。後継者が途切れないものかとも思うが、鵜飼観覧船の船頭さんのお話では、今のところ岐阜市の御料鵜匠6名は大丈夫とのお話だった。現在も御料鵜飼が年8回行われており、そのうちの2回は駐日外国大使等を招いている。
  鵜飼の見物は観覧船から観るが、岐阜長良川鵜飼の観覧船は全部で45隻あり、見学した当日は金曜日であったせいか38隻がでていた。鵜飼が開始される直前には鵜飼始まりの相図となる4発の花火が打ち上げられ、長良川の両岸にある旅館の看板ネオンも一斉に消灯される。暗闇の中に浮かぶ松明が非常に幻想的だった。通常は「狩り下り」といって鵜舟と一緒に川を下りながら鵜飼を観覧することができるが、見学日は前日の雨の影響で川の水位が高かったため、停泊した観覧船から鵜飼の様子を観覧する「付け見せ」に変わってしまったのは少し残念であった。クライマックスは、6隻の鵜舟が横一列に並び、浅瀬に鮎を追い込む「総がらみ」と呼ばれる漁法で、間近で見る6隻の横隊は非常に迫力が感じられた。別の観覧船には長良川温泉の宿泊客が乗っており、浴衣で観覧する鵜飼もまた風情が感じられた。次回はぜひ長良川温泉に宿泊して鵜飼を見学してみたい。 

観覧船
観覧船。この日は停泊した状態で鵜飼を見学
鵜舟と鵜匠と鵜
鵜舟と鵜匠と鵜。間近で見ると迫力あり
クライマックス
クライマックス、6隻の鵜舟が横一列で漁を行う「総がらみ」

(2014.9.29/喜田 祥子)