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町並み保存

 名古屋市は名古屋城の城下町として発展したところであり、城下町の碁盤割りが現在のまちの構成にも生きており、大都市でありながら、その中心部に歴史的な街並みを残している。また、東海道など街道沿いの街並みも残しており、絞りで有名な有松は、第1回の町並みゼミの開催地ともなり、我が国の町並み保存運動に大きな影響を与えたところでもある。現在、4地区が町並み保存地区に指定されている。


●有松(ありまつ)地区(緑区)

 町並み保存地区第1号。1984(S59)年3月26日指定。名古屋市南東部にあり、名鉄有松駅下車すぐ。6月には絞り祭りが、秋には有松祭りが開催され、山車が曳き出されるなどしてにぎわう。





 旧東海道の池鯉鮒宿(知立)と鳴海宿の合宿として、開村されたところで、有松絞りとともに繁栄した。現在の町並みは天明の大火(1784年)後の復興で、街道沿いの家は瓦葺き、塗眥造りの防火構造に改められ、二階には虫籠窓を設け、腰壁をなまこ壁にするなど、今もその景観を残している。道路がゆるやかに湾曲し、家並みの続く景観はすばらしく、町歩きを楽しむ観光客も多く、古い建物を利用した飲食店や土産物屋も営まれている。

 町並み保存発祥の地ともいえ、1973(S48)年には「有松まちづくりの会」が発足し、今では約200名の会員が活動している。行政としては、伝統建造物の修理、修景などに助成を行うとともに、道路整備を行うなどしている。また、地区内の電柱は茶色に塗られ、町並みにとけ込むよう配慮されている。地区内には有松鳴海絞会館が1984(S59)年3月に建設され、絞り技法、資料の保存と展示を行っている。この建物に隣接する碧海信用金庫有松支店は町並みと調和するような建物に建て替えられ、両者の建物は1985(S60)年度の名古屋市都市景観賞を受賞している。さらに1988(S63)年には山車会館が建設され、貴重な文化財である山車の常設展示が行われている。また、江戸時代の町並みに近代建築の郵便局もみられ、個性ある町並みを形成している。



 なお、当地区では有松駅へのアクセス道路を整備するとともに、木造密集地域における生活道路の整備を図ることが課題となっており、地区総合整備地区としても位置づけられており、町並み保存地区の一部を含む地区において1989 (H1)年2月に土地区画整理事業の都市計画決定が行われている。この事業では古い町並みが残る地区の特性を生かしながら、個性と潤いのある町づくりを推進するために「ふるさとの顔づくりモデル土地区画整理事業」の事業地区指定を受け、事業が進められている。

●白壁(しらかべ)・主税(ちから)・橦木(しゅもく)地区(東区)

 町並み保存地区第2号。1985(S60)年5月28日指定。名古屋市の中心部にあり、地下鉄高岳駅から北800m。


 上級武士の屋敷が城郭内に置かれたのに対して、ここ三百石級の中級武士の屋敷が置かれたところで、尾府名古屋図(1709(宝永6)年)にはすべての武士の名前入りの屋敷割りが書かれている。明治に入ってからは武士にかわって、商人の屋敷町となった。武家屋敷の広大な敷地があり、陶器の町・瀬戸への交通の便がよかったことから、輸出陶器関係の中心地として生まれ変わった。中部の財界人の屋敷も軒を並べ、この界隈には近代洋風建築の優れた建物が集中することとなった。これらの屋敷は、料亭となったり、所有者がかわったりしているが、今もその多くが残っている。

 この地区の特色は、黒っぽい板塀が続き、塀越しに豊かな緑が目に入り、静かなたたずまいを見せていることである。また、古い教会や学校の美しい講堂、コミュニティ広場を取り囲むように13戸の家が建てられた春田文化住宅(明治・大正の洋風建築の推進者・武田五一の設計)など豊かな歴史を感じされる建物が多くある。使用されなくなった住宅を期間限定で借り受け、現代の番茶茶屋にしようという橦木館もここにある。

 行政としては、有松地区同様、伝統建造物の修理、修景などに助成を行うとともに、道路整備を行うなどしている。しかし、広い敷地を維持していくことは所有者にとって大変なことであり、町並み保存地区を始め、周辺では、広い敷地がマンションにどんどん変化しつつあるのが現状である。そんな中にあって、「白壁町ハウス」は古い門塀を残してマンションを建てたもので、1985(S60)年の都市景観特別賞を受賞している。このマンションは指定時にすでに建築されていたが、その後、地区内の3箇所で個人住宅がマンションに変わっている。新しく建てられたマンションでも周辺との調和を意識した塀が設けられてはいるものの、町並み景観としては大きく変化している。
 愛知建築士会では、「建築資産をまちづくりに活かす」をテーマに1997(H9)年10月、1998(H10)年10月にこの白壁地区等を会場として、シンポジウムや講演会、展示会、見学会などを行った。

●四間道(しけみち)地区(西区)

 町並み保存地区第3号。1986(S61)年6月10日指定。名古屋市の中心部にあり、地下鉄国際センター駅から北東300m。


 名古屋の城下を流れる堀川の西側にあり、名古屋城の築城とともに始まった清須越しに伴って作られた商人町。堀川は城を造る資材を運ぶために掘削されたものと言われており、名古屋城の動脈として、船が行き来し、人々が憩い、経済を支えてきた。

 四間道は、1700(元禄13)年の大火の後、防火の目的と旧大船町商人の商業活動のため、道路幅を4間(約7m)に広げたので、その名前がついたといわれている。石垣の上に建つ土蔵群と軒を連ねる町屋が通りに面して建ち並んでいる現在の四間道の景観は、元文年間(1740年頃)に形成された。屋根神様や生活感あふれる路地、土蔵を利用したレストラン(ただし、先日訪れたら廃業していた)などもあり、歴史に培われた魅力が生かされている。

 行政としては、ここも有松地区同様、伝統建造物の修理、修景などに助成を行うとともに、道路整備を行うなどしている。また、ここも木造密集地区における生活道路の整備が課題としてあげられており、地区総合整備地区に位置づけられている。すぐ近くに再開発事業によって建設された名古屋国際センターの高層ビルがあり、現代建築と古い町並みが共存する独特の景観を見せている。ただし、この四間道は都s計画道路として15mに拡幅されることとなっており、都心部の利便性の高い地区であることから、このまま歴史的な町並みが残されるかどうかは予断を許さない状況にあるといえる。指定時と比べると、取り壊された土蔵もみられる。

●小田井(なかおたい)地区(西区)

 町並み保存地区第4号。1987(S62)年7・3日指定。名古屋市の北西部にあり、名鉄中小田井駅すぐ。


 名古屋城下から岩倉方面に至る岩倉街道があり、岩倉村やその周辺から枇杷島の青果市場(1600年代前半に開設)へ野菜を運ぶ道として賑わい、生活用品を扱う商家が建ち並ぶ町が形成された。

 現在はかつての賑わいはないが、旧岩倉街道沿いには町屋・土蔵を中心とした景観がゆるやかに曲がる街道に沿って続き、ヒューマンスケールの町並みを残している。建物は主に1891(明治24)年の濃尾地震以降の明治期のものであるが、伝統的様式を伺い知れる歴史的景観が維持されており、近世から近代にかけての町屋のたたずまいを伝えている。

 行政としては、ここも有松地区同様、伝統建造物の修理、修景などに助成を行うとともに、道路整備を行うなどしている。地区内にあった工場の跡地にマンションが立地するなど、土地利用の変化が起こっているが、形態や色をできるだけ町並みにとけ込んだものにしようという努力のあともみられる。

(1998.4.23/石田 富男)