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長崎は今日もいい街だった

 本年2月、久しぶりに長崎を訪れる機会を得た。タクシーに乗って運転手さんに話しかけると40分の乗車している間、お国自慢と郷土解説が止まらなかった。なにしろ長崎は江戸時代には天領であり、海外貿易(対オランダ、中国)の唯一の場所である出島があり、昭和の時代は原爆が投下された唯二の都市でもあり、郷土愛は非常に強いものがあるようだ。
 歩くと至る所に“日本初”のキーワードを掲げる看板がある。缶詰製造、バトミントン、ボウリング場、鉄橋、西洋料理、コーヒー、気球飛行、英字新聞、けん玉、じゃんけん等々。確かに鎖国してからの海外窓口は長崎なので、“日本初”の多さは納得できる。教会めぐりも観光資源になっている。県下の教会数は多くないが、人口当たりでは第5位である(ちなみに第1位は沖縄県で、教会密度は長崎県の倍近い)。そこは量でなく質(物語)が重要である。キリシタンの町「東洋のローマ」と言われながらも1644年の禁教令のもとで弾圧された歴史がある。しかし、そうした厳しい時代220余年を潜り抜け、1865年、浦上の信徒が発見されて、「世界宗教史の奇跡」と呼ばれ、浦上の丘に東洋一の浦上天主堂が建てられるも原爆で壊滅し、また復興を遂げる……。こうした歴史的背景のものに「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」の世界遺産への暫定登録がなされ、本格的登録にむけて準備が進められている。
 坂道の多い独自の風景・景観と数多くの物語が詰まった長崎市は、観光のあり方として「長崎さるく」(長崎を「うろつきまわる」という意味)を打ち出した。当初は博覧会形式で実施(2006年)し、今は観光手法として定着している。マップを片手に特色ある長崎を自由にまち歩きする「遊さるく」、地元名物ガイドといっしょにまち歩きを楽しむ「通さるく」、専門家による講座や体験を通して深く探求できる「学さるく」、美味しい長崎を味わう「食さるく」などがある。最新データ(2012)では、統計的に把握できない「遊さるく」を除いて3.7万人であった。なお、ここ5年間では2010年の5.1万人が最大である。
 長崎にはいろいろ観光資源があるが、忘れてならないのは、いわゆる「軍艦島」(正式には端島)である。1810年に端島で石炭が発見され、本格的採鉱される1869年から閉山される1974年までの105年間の歴史を有する。長崎港から18km、現在の面積6.3ha(うち居住地3.78ha)、そこに最大5,300人が暮らしていたので、居住地面積あたりは世界一になるそうだ。香港も人口密度では負けるのである。ここにも日本初がある。鉄筋コンクリート造の高層アパートがそれだ。教会群とどうようにこの軍艦島も世界遺産暫定リストに組み入れられている。軍艦島上陸ツアーも開催され、30分で長崎港から軍艦島まで行き、周遊・上陸で80分、帰港で30分の所要時間であり、土日や夏休み等では4,200円/人の費用がかかる。上陸と言っても奥まで入れず、外周を少し歩きながら、建物を眺望するという感じである。いつ何時崩壊するかもしれないリスクを負うから仕方がない。バルセロナのサグラダファミリア教会は今だ建設途上の世界遺産であるが、軍艦島はその対極にある時間とともに朽ちていく世界遺産になるのであろうか。長崎は多くの歌にうたわれ、映画や小説の舞台にもなり、郷土愛を奮い立たせる素材には事欠かない。当事者意識を持った市民が支える長崎は、ある意味シビックプライドの代表的な都市ではないか。今でも、運転手さんの声が頭の中で響いている。
グラバー邸
長崎観光十八番 グラバー邸とそこから見える長崎港
軍艦島
軍艦島全景
軍艦島上陸風景
軍艦島上陸風景 屋根が崩壊している。
坂道
坂道のある風景
史跡料亭「花月」
風情溢れる丸山の遊郭であった史跡料亭「花月」
(2015.4.3/井澤知旦)